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[コメント] 原爆の子(1952/日)

乙羽信子の美しさに息を呑む。彼女の母性に満ちた顔が美しく見えるのは、若さ故なのか、広島の翳故なのか…。
死ぬまでシネマ

7年後の広島を舞台に、広島で撮影された広島の物語。1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約を受けて制作された、原爆を扱い公開された初の劇映画である。新藤兼人の第1回自主制作品であり、この出演のために乙羽信子は大映を辞める事になり、2人の二人三脚が始まる。

3人の元園児たちの物語と、それに接する女教師(乙羽)自身の物語である。乙羽の人物像は如何にも教師であり、当時求められていた人格像、もしくはそれに近づこうと努力する人物である。現代から思えば些か硬調な部分もあるが、母性に満ちた乙羽の眼差しを新藤は大きく深い輝く黒として描き、ぼくにはそれが暗い教会に佇む聖母像の眼差しに思われた。

地獄を生き抜いた人々、その生きる哀しみと深い共感を、27・8歳の乙羽が演じきる事に驚きさえ感じたが、しかし物語はまさにその時を描いており、乙羽もまた、20歳で敗戦を迎えた日本女性なのであった。

数々の廃墟・原爆スラム(夕凪の街)、建造中の現在の原爆資料館、橋から次々に川へ飛び込む広島の少年たち、その橋から先生を見送る少年、原爆で鉄棒の欄干が千切れ飛んだその隙間から見える向こう岸の先生… など興味深い絵柄が多かった。

    ◆    ◆    ◆

尚、この映画の翌年には、同じ長田 新編「原爆の子」を基にして日教組が製作した『ひろしま』(関川秀雄監督)が創られている。こちらは被爆者個人への眼差しの深さはないが、被爆当日の地獄絵図を克明に描いた作品となっている。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ペンクロフ[*]

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