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[コメント] マニュファクチャリング・コンセント ノーム・チョムスキーとメディア(1992/カナダ)

メディアは公平でない。メディアは洗脳をする。現代に生きるわれわれはそれはもう自明の事のように思ってやしないか…? ☆3.9点。
死ぬまでシネマ

「メディアは公平でない。メディアは洗脳をする」…というテーマの映画だと観る前から判っているのに、チョムスキーは(映画は)延々と繰り返しその事を訴え続ける。観ていて「それはもう解ったから、もっと具体的に個々の事例の<洗脳>の意図を示してくれよ」と俺は苛々した。

しかし繰り返しその主張を聴いている内に、その先にある「何故われわれはこの洗脳を求め、受け入れてしまうのか」という事が見えてきた。メディアは「その方がみんなが視るから」と自分ではケツを捲っている。「洗脳」というと「何を大時代な。そんな陰謀などない」と迷惑がる人間もいる。しかし確かに<流れ>はある。その流れを見据えない限り、人間の独立はない。だからやはり我々は洗脳されているのだ。何故テレビはみな同じニュースを同じ切り口で流すのか? 答えは外部の陰謀にあるのではない。自己の内部にあるのだ。

詰まりこの映画を観に来る観客は「メディアは公平でないよな。メディアは洗脳をするんだよ」とか言いながら、唯々諾々と日々メディアに接しているひとびとである。チョムスキーは流れに抗する自分の姿をメディアに曝す。彼を異化するメディアを視る中で、われわれは真の自己を発見するのだ。公平でないメディアにどう接するのか、洗脳するメディアにどう立ち向かうのか、これからの時代のメディア=リテラシーに重要な手掛かりを与える映画である。

(評価:★4)

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