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[コメント] 紙屋悦子の青春(2006/日)

戦争3部作の中でも特に静かな、日常生活の一コマとして戦争を描いた好篇であるが、丁寧過ぎて生活感が薄まってしまった。それが演出意図だとしてもここまで舞台調でない方が良いと思う。(reviewの後半は永与少尉の如く赤面し乍ら突如暴走)
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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父と暮せば』も如何にも「舞台」を想像させる設定だったが、今回の映画も紙屋家のみで展開する短期間の物語である。一件の家(場)、数人の家族や訪問者とのやり取りの中から「戦争」を切り取る、というのは素晴らしい取り組みだと思う。多くの「戦争映画」が目を向けない、或いは取り零してしまう視点だからだ。この2作品に共通するのはそうした設定を生かそうとする余りに強調された「様式美」のような気がするのは気のせいだろうか。

「様式美」の良い所は、削ぎ落す事によって気品が出る事と、削ぎ落されたものを観客が想像する事により豊饒感が得られる事である。黒木監督は些細な手掛かりを与える中で観客に様々なことを想像させ、そこから何かを生み出そうとしている。それは解らないでもないが、「生活を浸食する戦争」という視点からは私は(私なら)もう少し写実性を求めてしまうのだ。

例えば、冒頭の老人2人の描写。正直言って2人は私には老人に見えなかった。「老人に扮した2人の俳優」だ。こうした表現は舞台のものである。舞台は元々現実を舞台上の2.5次元に切り取っているのだから現実との非整合があって当然なのだ。黒柳徹子森 光子が少女を演じても良い。また、登場人物たちの言葉使いも気になった。ゆっくりとした棒読み。生活の言葉は時として早口であるので、私はゆっくりとした台詞回しで生活感が醒めた場面が幾つかあった。方言についても、私は九州の育ちではないが、親類の言葉と較べても「…?」と思われる点が幾つかあった。

前述したようにこの形式に黒木監督の演出意図があるのは明白なので、これ以上それを難じても好みの問題という事になるかも知れない(但し舞台ものの構成を敢えて映画で語る企画は、私は実は厭ではない。→『父と暮せば』)。

    ◆    ◆    ◆

ところで、明石少尉がこっそり独りで帰隊した際、ベルトと軍刀は帯刀の際に音がするから玄関に置いて行ったのだろうと想像したのだが、永与少尉が帰る時にも持たせてないように見えた。大丈夫だったのだろうか?

 … … …

コメントにして気になったので、DVDを視直してみると、永与少尉は帰る時に帯刀していた(しかもそれが出す音を気にしている)。更に見直してみると最初に2人が紙屋家を訪れた時には2人とも帯刀していた。それによって2人が共に士官である事を表現していたのである。私の方は玄関先から勝手に上がり込む明石の所で初めて軍刀の事に注意が行ったので、軒先での永与の帯刀に気がつかなかったのである。(それから画面は屋内に入ってしまい永与が上がるカットはない)

そうして視ると、悦子が明石の帰隊を察した場面で玄関に堤がっていた軍刀は明石のものではなく永与のものであった。掛かっている場所も明石が掛けた隣り(右から2番目)だったのだ。すると明石は抜け出す際に音に気をつけながら自分の軍刀(と軍帽)は持って帰っていたのだ(当り前か)。だからあのカットは「明石だけ帰りましたよ」というカットなのに自分は飛んだ勘違いでありました。

しかしそれは永与が明石に続いて軍刀を隣りに掛けるカットがない為に生じた誤解だと思う。自分はバカでありますから監督にはキチンと示していただかんと解らんのであります!(暴走)

(評価:★3)

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