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[コメント] 感染列島(2008/日)

崩壊してゆく生活の中で (或いは絶望の描き方について) ☆3.9点
死ぬまでシネマ

妻夫木 聡主演という時点でこの映画には不安以上の先入観を抱き、予告篇によってそれは強固なものになっていた。過去に同様の例(『ドラゴンヘッド』'03年)があった事も大きい。もう一人の主演=檀 れいの演技も含め、観賞当初この先入観は現実のものになるとも思われたが、映画全体の主題の切実さがそれを覆す形になった。

細かい点に於いて不満は多々ある。医学的な疑問点はもとより、登場人物の役割分担はフィクションらしく簡略化されている。しかしそれらによって損なわれる以上のテーマがこの映画にはあったと思う。

厄災の中でひとはどう踏み留まるのか、という事である。

この映画では感染爆発(パンデミック)が起きた日本の状況が描かれている。しかしこの状況はあらゆる<災害>に於いて生じ得るものだ。阪神淡路大震災の時にそうであったように、来るべき関東大震災の時、医療スタッフは存在するかも不明な自宅に戻る事も出来ない儘、医療に携わらねばならなくなるだろう。交代要員も確保出来ない中で自らの限界と戦わなければならない。(ひとが抱える災害の中で最も悲惨な災害は「戦争」である。クロアチアの少年の挿話は、制作者がそこに自覚的である事を示している。)

映画の中で檀 れいが演じるWHO職員=栄子が患者の人工呼吸器を外す場面があり、そこで俺は身が震える思いがした。生き残る可能性がある患者のためとはいえ、見込みのない患者から次々に人工呼吸器を外してゆくその様は、まさに地獄の鎌を持った死神が、死の息吹を吹きかけていくようだった。

実際には現在の日々の医療の現場で、医師が患者の生死を判断している事実を俺は知っている。それは誰かがしなければならない判断であり、倫理的責任を負わなくてはならない医師は、すでに生きた死神である。しかし、災害の場面ではより切実にその現実が顕わとなる。大震災が起これば医療者はトリアージ(患者選別)を行なわなければならないが、それも本来は人間の能力を超えた部分がある。医療者はそこに目を瞑り、死神にならなければならない。

そして更には、死の感染症は確実に医療者自身をも手に掛けるという事。

俺が学生時代に繰り返し読んだ小説にカミュの「ペスト」がある(1992年に映画化『プレイグウィリアム=ハート主演)。医師リウーは黒死病が吹き荒れ、人々が脱出する町からとうとう出る事はない。この小説は頽廃と絶望に満ちながら、しかしギリギリの所で誠実さを失わない主人公を描き出す。丁度最近NHKの番組で作家=辺見 庸がリウーの台詞を引用していたのも印象深かった。

もう一つ、この映画に際して思い出した事は、2002年〜03年に流行したSARS(新型肺炎)に於けるベトナム人医師の事である。行政府の失態によって感染拡大を初期に防げなかった香港やハノイでは、多くの医療者もその<死の息吹>に触れ、斃れていった。その絶望的な恐怖の中でも決して逃げずに戦い、そして矢張り亡くなった一人のベトナム人医師の事を、嘗てNHKが特番で紹介した事があった。<圧倒的な絶望の中で、ひとは踏みとどまる事は出来るだろうか?>

厚生省による医療制度「改革」によって、医学生・医師の治療意欲(モチベーション)は大きく害される結果となった。小泉改革による日本全体の自己責任論・享楽主義(拝金主義)の波と相まって、瞬く間にこの国の医療は「崩壊」してしまった。いまこの国は医師不足だというが、俺はまだこの国全体では医師は過剰なのだと思っている。制度改悪が破壊したのはもっと別のところではないのか。最初この映画のスタンスには時代遅れな印象も感じたが、寧ろ治療意欲が低下しきった現在の日本の医師のとって、最も大切な部分を描いているのかも知れない。

蛇足) 主演2人は措くとして、不幸な役回りを演じた夏緒とややステレオタイプながらママさん看護婦を演じた国仲涼子の2人が佳かったです。

(評価:★4)

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