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[コメント] この世界の片隅に(2016/日)

Commentは保留 (Reviewは、この作品への想いと、原作の素晴らしさについて) ☆5.0点。
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「夕凪の街 桜の国」のこうの史代がもう一つ廣島を描いていたと知ったのは、クラウドファンディング募集が終わった後だった。広島市中心部には人生で何度も訪れてはいたが、宇宙戦艦ヤマト好きな小学生を連れて行くにあたって、一度呉の大和ミュージアムにも行ってみようと思ったのが縁となった。同館にアニメ製作開始のポスターがあったのだ。数件の本屋を探し歩いて、広島市内に戻る列車の車内で、既に原作の上巻を読み始めていた。帰京する新幹線で小学生も読了し、「いい話だね」と言ったのでホッとした。

     ◆     ◆     ◆

夕凪の街 桜の国(実写)』が原作の素晴らしさを表現し切れなかったので、今回のアニメ化にも多いに不安があった。期待出来る要素としては、ポスターの絵柄が原作を尊重していた事。帰京してから視た特報映像の完成度に目を見張った。更に監督が『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直と知った時は喜びに声を上げた。それからは、小学生と共に公開を指折り数える事となった。

だが予告篇が出来て聞こえて来た声に違和感を持った。小学生も「何か、思ってたのと違った(声だった)」と言ったので不安が増幅した。初めて聞く声で、声優の名前は知らない人だった。

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公開が近づくにつれて不安が更に増した。『シンゴジラ』の大ヒットをバネにして、新海 誠がとうとう大爆発してしまったのだ。気になっていた監督がブレイクしたのは嬉しかったが、『君の名は。』との競合は『片隅』にとっては最悪な事態に思われた。公開日の決定は遅かったように思うが、11月公開は吉と出るのか凶と出るのか。この時点で作品の出来は最早疑っていなかったが、テアトル配給で多くの人の目に触れる事無く消えてしまうのではないか、と思った。のんが誰なのかは分かったが、寧ろそれは不安を増幅させた。

公開後の流れは多くのひとが知る通りである。日本映画No.1、百年残る名作との評価には些か逡巡したが、原作者と同等の綿密さを持つ監督を得るという奇跡的な事態なのだと、繰り返し観賞し発見する中で腑に落ちて行った。初見で観た感動を損ねる事無く、新たな発見が出来る所がこの作品の凄い所であり、それは原作からアニメ作品になってもまだ地続きで何度でも続いて行くのだった。

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繰り返し観賞する中で原作との違いが少しずつ明らかになって来た。その多くは片渕監督の更なるブラッシュアップに感心し驚くものだったが、原作者独特の持ち味が「已むを得ず」失われている所もあるように感じた。それは『夕凪の街 桜の国』の実写映画化があった故に強く意識されたという所もある。

原作者は極めて冷徹な観察眼と、極めて強い意志に基づいて作品世界を作り上げるひとである。主人公には当然その強さが移植されるが、映画では監督のそうあって欲しい女性像が投影されているように感じた。

こうの史代の絵柄は(少なくとも「夕凪 桜」と「片隅」の2作品に於いては)一種の罠である。その柔らかい人物線は、裡に秘めた性と情念(怨念)を隠す仮面になっている。それは両作品に於いては、主人公自身の生き方にさえ重なっているのだ。

「夕凪の街 桜の国」に於ける主人公の母(もう一人の主人公からすれば祖母)ははっきり言えば了簡の狭いひとである。あの日の惨状で酷く歪められてしまい、自分以上にその惨状を見せつけられた娘の心の傷を理解してやる事が出来ない。二人の間には深い溝が刻まれてしまう。実写映画ではこの事は大きく改変されてしまった(監督が解ってなかっただけの様だが)。

「この世界の片隅に」でも多くの怨念が隠匿されている。原作で特に感じたのは嫁ぎ先での主人公の孤立と、実兄への恐怖だ。望まない結婚を受容れたものの子供が出来ない自分に後ろめたさを感じ、高圧的な出戻りの義姉は更に大きな負担となる。主人公はホルモンが乱れ、頭髪も抜けてしまう。義姉によって同じく抑圧され萎縮してしまった姪との同盟関係が婚家での唯一の避難場所となる。出征した兄に対しても愛情と共に拭えない恐怖心が散見する。それを補強するのが同じ気持ちを持つ妹であり、自作の漫画で兄を戯画化して共有している。

片渕監督は当然原作者のこうした人間観察に気付いているようだ。それを映画化するにあたって何処まで残すかは難しい所だったと思う。のんの声と手足が大きいホビット(或いはピーナッツ)造形で、主人公すずは原作より幼児化し「愛らしいキャラクター」になった。各登場人物の厳しい部分は絵柄的に(原作でもそうだったのに)より隠匿されていった(その為に「帰省」や「間諜」のエピソードがやや解りにくくなった)。それを「救った」のが径子(尾身美詞)の第一声であり、それは監督の指示だったと言うから、まぁ映画的にはあの辺りなのかな、とも思う。

人間にはひとを思いやる優しさと、辛さを笑い飛ばす明るさと、裡に秘める強さがある。吾の裡に秘め、裡に秘めたるひとを思いやる事で、ひとは他者と「解り合う」事が出来る。原作者が映画化での改変に多少苛ついている様な記事もあるが(これは言わない方がいいのかも…)、でもまぁ作品を見て解るように、彼女はその辺もよく解っているのだろう。

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リンさんのエピソードが削られている件は多くの原作ファンが残念がっていると思うが、その切り方が見事である。無かった事にせず、贅沢な秘密にしているのだ。切る事で更に豊穣にする、魔法としか言いようが無い。

私は『ニューシネマパラダイス』の完全版のファンだが、映画的には公開版の方が美しい。醜さ故に完全版が好きなのだが、『片隅』ではどうだろうか。完全版を観たいのは勿論だが、偶然の齎す奇蹟を現行版と同じ流れで受け止められるか、心配でもある(勿論、監督はそこに全力を注いでくれるだろう)。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ロープブレーク[*] 水那岐[*]

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