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[コメント] カポーティ(2006/米=カナダ)

ミイラ取りがミイラ
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この静かな映画を見ていて、思うことはひとつだ。これは(この境遇)は自分自身であって、彼らの人生は紙一重であるということだ。

作家としての高慢な欲望。それがカポーティを支えている。これは事実に相違あるまい。彼は自分の欲望を表現するべく、あるいは欲望のために数々の虚言を重ね、この一級殺人に関わる捜索側と犯罪者に入り込む。

この前半のエピソードは実にユニークで、見ていて楽しい。

トルーマン・カポーティの代表作は言うまでもなく『ティファニーで朝食を』である。そして彼がこの『冷血』の取材と創作活動を続けている頃、『ティファニーで朝食を』が映画化される、この映画の中でもそのことが一部説明されている

しかし彼自信はすでに『冷血』に打ち込んでおり、『ティファニーで朝食を』のことからすでに心が離れている。

この映画の中で最も評価されるっことは、犯罪者の側に立った彼の対応についてではなく、彼が犯罪者と同化してしまった苦悩について、丁寧に表現されているところだ。

彼がこの犯罪を犯したペリーとの度重なる会話の中で、自分自身が幼い頃虐げられた頃のことが語られる。トラウマである。その幼児体験を言葉にすることで、犯罪者であるペリーと重なり合って行く。そしてその体験が母親から見放されたことによるものであることの共通項がさらにこの二人を強く結びつける。

この映画ではカポーティが作家仲間のジャック・ダンフィー(ブルース・グリーンウッド)との同性愛についても描かれている。カポーティの最愛のパートナーであるネル・ハーバー・リー(キャサリン・キーナー)は、この『冷血』にまつわる取材からずっと彼に付き添っているが、彼が同性愛者であるこを理解した上で付き添っていることがわかる。

そして前述のトラウマ体験だが、彼の同性愛とリンクしていることがうかがわれる。それはペリー(クリフトン・コリンズ・Jr)との会話で、母親から虐待されたことによるものであることを見る者は理解するのである。

私はこのエピソードが好きだ。

犯罪者と取材する作家との共通項。この相反する立場を作り上げる両極端な二人がいつしか同化してゆく後半部分に目を背けたくなる自分と、自分自身に重なる部分とを感じることができたからだ。

同性愛者の多くは、母親に愛されない経験を持つ場合が多いと聞く。それがこの二人を結びつけることになるのだ。

カポーティとペリーの最後の面会シーンは圧巻だ。フィリップ・シーモア・ホフマンはこの見事なシーンでアカデミー賞を受賞した。彼がペリーと最後の会話をするこのシーン。カメラは二人の感情を導き出すべく、不安定な揺れを演出する。そしてフィリップ・シーモア・ホフマンの見事な見事な演技。彼がペリーに最後の別れを告げなければならない苦悩を見事に演じきっている。この演技は複雑である。

映画全体でこの作者が何を言おうとしているか、それは特別なことではない。特に晩年、謎に包まれアルコール中毒死を遂げたトルーマン・カポーティに最大の影響を与えたであろうこのエピソードに着眼して、1本の映画に仕立て上げた創意を大いに評価する。それに理由は必要ないだろう。

カポーティがある意味派手な人生を歩み、そしてあるきっかけでこの映画の中心となった事件に関わることで、自分の生い立ちや人生そのものが狂い始めて行く瞬間をとらえたことがこの映画の素晴らしいところだと思う。

とても素晴らしい映画だった。

(評価:★4)

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