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[コメント] クィーン(2006/英=仏=伊)

映画の製作過程を考えてみよう。日本でこんな映画を作ることが許されるわけがない。
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







エリザベス2世の話は、この映画が作られなかったとしてもいずれドラマになったであろう。彼女が即位した頃は第二次世界大戦の後だが、戦前の複雑な状況からずっとイギリスのみならず世界の歴史を体感してきていることを思えば、その複雑で数奇な人生がドラマにならない理由はあるまい。

この映画の中でも、いくつか女王が発するセリフにイギリスの歴史を感じさせる。ウィンストン・チャーチルのことなどがそれだ。チャーチルの存在は王室にとって重要なものであったことだろう。

そしてそのチャーチルと比較してブレアの存在の小さなことか。若きイギリスの首相が女王に子ども扱いされるところから、この映画ははじまる。トニー・ブレアが首相に就任したのが44歳。エリザベス女王71歳。チャーチルが78歳のとき、エリザベス2世は女王に即位したのだが、そのとき彼女の年齢は26歳である。時代とともに立場も価値観も変わるというものだ。

この映画では、王室の生活と品格、そして古くから伝わる王室の規律を全面に押し出し、その亜流となってこの世を去ったダイアナ元妃のエピソードを中心に語られる。エリザベス女王の人生からすればほんの小さな出来事かもしれない。しかし、この瞬間を映画にすることは大変勇気がいることだったと思われる。

調べてみると、エリザベス2世の2代前の国王エドワード8世は、スキャンダルの多い方だったようで、当時イギリス首相に退任を迫られたそうだ。その影響でエリザベス2世の父ジョージ6世が王位についたのだそうである。つまりイギリス王室はかなり古くからスキャンダルを抱えてきたようにも思える。そんな中でのダイアナ事件なので、解釈は微妙だ。王室の在り方と、国民との距離感などは、どの国でも言われることだと思われるが、ダイアナ元妃が成婚されたときの衝撃があまりにも大きいだけに、その後の死に至るまでのエピソードも大きく語られるのだ。

この映画のユニークさは、ダイアナがパパラッチに追いかけられて交通事故を起こし亡くなってからの1週間を描いたという点にある。ここまで書いたとおり、王室およびエリザベス女王にとっては、このダイアナ事件以上にもっと大きな事件が歴史的にも山ほど語られてきているわけで、その数千年にわたる歴史をくつがえすほどの事件がこのダイアナ事件だったというわけだ。

エリザベス2世の母である皇太后が、実に見事に王室の歴史を語るシーンがある。エリザベス2世がこれまでのどの王位継承者よりも有能で毅然として王族の歴史を守ってきたかを示す大事なシーンだ。このシーンに王室側の立場を明確に示す言葉がたくさんしめされている。

結局、この映画では一部のこころないマスコミによって国民が陽動され、王室のあるべき姿を屈辱的に貶めるという筋書きとなっているのだが、映画はそのことを絶えず見せる。ブレアも王室も常に新聞を気にしている姿が面白い。

当時、首相にして最初の仕事となった若きブレア首相にとっても、この事件は大きなものとなった。イギリス首相の自宅を親しげに描き、王室の気品ある姿と対比させるあたりがユニークだ。そしてブレアは最後にエリザベス2世のすごさを知る。エリザベス2世が歴史上はじめて王室の外でダイアナに贈られた花束の数々を宮殿の外で市民の前で見て回る苦しいシーン。ダイアナを殺したのは・・・などの厳しいメッセージを目の当たりにする。そして市民を前に目くばせをすると、そこに一人の少女が花束を持っている。女王は花束を見て「置いてあげましょか」と話しかけると、少女は「いいえ、あなたに」と花束を手渡す。このシーンに心打たれた。

王室が国民にとってどのようなものなのかをこの映画は論じていない。しかも政治はこの事件にどのようにかかわっているかを描写するものでもない。しかしそこには”現に”ある制度のなかで、それを守るものの宿命を描いていることは確かだ。この映画は肯定的にも否定的にも見てとれる映画だと思うが、世間でいうマスコミが思うような映画ではない。そのときの立場に応じた王室と政治家と庶民の映画なのだ。

エリザベス2世はこの映画で涙を流さない。流すふりさえしない。それが掟であるかのように気丈なふるまいを続ける。そして、映画の冒頭からその姿が見る者を不愉快にさせるようなおももちがある。しかし、庶民派のブレアと最後のシーンで庭を歩くシーンに不愉快さは全くない。この映画が言いたかったことは国民と王室の思いを映像に映し出すだけのことだったのかもしれない。

さて、最後になるが、日本でこのような映画が題材になるか、という気になる問題である。敢えて言えばアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』が唯一のそれに当たるのだろうが、昭和天皇は今は亡き方である。現状の皇室をそのまま描くことなどたとえフィクションであってもありえないだろう。そういう意味においても本作の凄味を感じてしまうのだ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Yasu[*] 直人[*] りかちゅ[*]

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