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[コメント] ケンタとジュンとカヨちゃんの国(2010/日)

新井浩文さんが『ゲルマニウムの夜』のインタビューで、「この監督とまたやりたい。」と言った意味がわかった。(2011/02/08)
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







大森立嗣監督の姿勢は、前作『ゲルマニウムの夜』で明快に示されています。

それは社会からスピンオフした若者の存在。そしてそんな若者の実態と深層心理。これをスクリーンにぶつけようとする姿勢は明快でわかりやすいものでした。

本作で展開される説得力のある「破壊」というメッセージも、ある意味大森立嗣監督自身の強い信念がもたらすものですね。

前作と本作の違いは、前作がある特定の場所を舞台に展開するのに対し、この映画は犯罪を犯した兄(宮崎将)のもとへ走る弟(松田翔太)とその幼なじみ(高良健吾)のお話。それに、ゆきずりの女性(安藤サクラ)がからむ展開ですね。

今回の松田翔太さんはとてもいいですね。かっこいい!

比べては気の毒ですが、本当の兄貴(松田龍平)よりもずっと父親(松田優作)に近づいた感覚がありました。

安藤サクラさんもうまい!

彼女の圧倒的な迫力は、この映画が単調になってしまいがちな展開に楔を打ち込むもので、彼女の台詞、演技はこの映画全体に欠かすことの出来ない存在感をもたらしていましたね。

それにしても現代はこれほどまでに暴力的であることを求めているのでしょうか。

ヒーローショー』、『冷たい熱帯魚』など、あらゆる悪がはびこる映画界ですが、それを画面にぶつけることで、どれほどの現代性が生まれるのでしょうか。

それほど現代は「悪」とか「暴力」を求めているのでしょうか。

この映画に限定すれば、家族を失った青年の成長に「言葉」が失われていることが象徴されます。自らの意思を伝える「言葉」が失われてしまったことで、その反対表現として暴力に頼らざるを得ない。それが現代なのでしょうか。

兄を求めて網走まで走る弟ですが、刑務所で面会する兄は放心状態で、弟が思っていた兄ではありませんでした。その現実をつきつけられて、再び暴力の世界へ。そしてその中に見出す光。

こういう映画が次々と作られる社会性に少し恐怖を感じてしまいます。

2011/02/08 自宅

(評価:★4)

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