[コメント] ノルウェイの森(2010/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
たぶんA型。
原作を読まない私にとって、この作品はあまりにも非現実的で思い入れにくい作品でしたね。
まず、全体の映像としての工夫がイマイチです。
狙いは悪くありませんが、大自然の中の情景と、愛を確かめ合う二人の接近したシーンなどは、もう少し照明を工夫するとか、やり方は色々あったと思うんですね。純文学なんでしょうから、もっと劇的で芸術的なスタンスで撮ってほしかったですね。(カメラがよくないのかな?)
時代は学生運動華やかかりし頃。
そんな時代背景で、主人公はそうした運動に全く興味を示さず、読書とバイトと恋愛に執心します。
ここで、彼らの周囲に登場する人物として糸井重里がいたり、細野晴臣や高橋幸宏が出てきたりするのは、私などの年代からすると、とても解りやすいですね。
私などは、どちらかというと村上龍の側なので、学生運動というと大島渚や若松孝二などが連想されます。そういう闘争本能を内面に抱いている者にとっては、明らかに軟弱な作品と言わざるを得ません。冒頭の数々のシーンからこのギャップを感じてしまいます。
(これは原作のせいなので、映画とは無関係かもしれませんが・・・)
従って、闘争の中で生きてきた感性からすると、この主人公の苦悩は「ただのナンパな男」としてしか評価できず、軟弱さにいらだちを感じてしまうんですよね。
それでもまだ、セックスシーンをもっと劇的にするとかしてくれれば評価するんですが、『愛のコリーダ』のようなもっと突っ込んだ表現が施されれることもありません。全然あの領域には達していません。
この映画を見る直前に「うつ病の妻と共に」という本を読んだら、この映画と全く同じような感じのお話で、ご主人がうつ病の奥さんの看病のために翻弄される話なんですね。
この映画の菊地凛子さんの役などは、明らかにうつ病の傾向で、病的な世界が映画全体をうっ屈したものにしているような気がします。
水原希子さん演じる女性がこの映画の大きなポイントとなっていますが、その奔放ぶりももう少し過激であって良かったような気がするんですよね。
主人公のワタナベ(松山ケンイチ)は、この作品の中でほとんどすべてを肯定します。
「もちろん」
という口癖に女性はだまされます。
そして菊地凛子さん演じる直子がついに
「その”もちろん”てやめてくれない?」
と言い切りますね。この感覚、よくわかります。
ワタナベは女性に優しすぎるほど優しい。
けれどもその何でも肯定する姿勢って、真実から遠ざかるものだと思うんですよね。
最後の最後にミドリと結ばれようとするという結末もイマイチだし、あんまり納得できる作品ではありませんでした。
唯一信頼できるとしたら、ワタナベのラストワードでしょうね。
ミドリに「今、どこにいるの?」と聞かれて、
「どこにいるんだろう」
完全に意識がさまよっています。
ことによるとワタナベもうつ病症状が始まっているかもしれません。
ということで、2010年最後を飾る映画は残念ながら失敗に終わりました。
2010/12/31 渋東シネタワー
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。