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[コメント] ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q(2012/日)

別物として解釈するしかないのでしょう。(2012/11/18 ユナイテッドシネマとしまえん)
chokobo

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







前作で「地球滅亡の行程を乗り越えるのは愛である」というレビューを書いた私ですが、この作品の時点でそれが正しかったのかどうかは露になっておりません。

まず、

序→破→急ではなくてQだった、という点です。

これは明らかに能の展開を示唆しているにもかかわらず、最後の最後でQにしている点。これが最初に論じられるべきなんでしょう。

前作でシンジくんが綾波を救う。そして「サードインパクト」が始まる、と映画の中で宣言されているわけですから、もうあの時点でこの映画は終わっているんですね。終わっている。

つまりもともとこの映画が地球滅亡前の最後の悪あがきと「人類補完計画」という矛盾する思考の中で作られた映画であることを思い出せば、今回の作品がまったくリセットされたとしても、それを観る側は否定できない。そして14年間のブランクについての説明があろうがなかろうが、予期せぬ未来を覗いている以上、すべては予測不可能なんですね。

急で終わらせる、と思わせておいて、実はまったくことなるQが生まれた必然は、すでに前作の最後で作られていたと考えるべきでしょう。

それから、前作までの展開と本作の大きな違いは、シンジくんの愛情がまったく通じないという現実です。

愛する者、それがたとえば綾波だとしても、その存在すらこの作品では否定されていますね。本作の綾波レイはロボットそのものです。まったく感情がない。

でもですね、よーく思い出してみると、劇場版の最初に綾波がボロボロの状態になっているのを目の当たりにしたシンジくんの綾波に対する感情は所詮同情でしかなかったのではないでしょうか。本当の愛ではない。もしそれが愛として示されたとしても、それは親父(ゲンドウ)の妻に対する思いを重ねられただけのことなんだと思うんですね。

そうなるとこれはもう、親父の世界。そのものです。

それはもっと俯瞰で考えると、作者である庵野秀明そのもの、そして彼に影響を与えた宮崎駿の世界、さらに突っ込みますと「巨神兵」という存在。

そうです、この映画が始まる前に、別物の映画として『巨神兵東京に現る』という実写版の映画が10分ほど流れますが、すべては破壊のイメージ。愛はそれを超越できない、というのがこれまで示した映画の本質なんだろうと思われます。

いずれにせよ、この映画を劇場で見て、宇多田ヒカルさんの曲が流れて、誰一人途中で席を立つ人がいないこの状況を見る限り、程度の別はあるでしょうが、ほとんど全員が

腰を抜かした

ということですね。

今回も庵野秀明の勝ちでしょう。

それは誰にも想像できない世界であって、誰にも想像させることを許さない、徹底した思想があるからこそなしえたことなんだろうと思います。

大失敗作に5点与えることにします。

次回も期待はしない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)4分33秒 赤い戦車[*] すやすや[*]

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