[コメント] サード(1978/日)
当時永島敏行はじめ、ど素人と思える演技が苦痛で馴染めなかったが、もしかしたら見ているこちらがど素人だったのでは…とおやじになった今思う。
寺山修司に接していれば、この程度の映画に驚くことなどないのだが、この性表現にはやはり立ちすくむような思いがする。
東陽一はあくまで寺山の脚本を土台にしてはいるが、果たしてこの演出?にどういう意図があったかまでは定かでない。
しかし寺山がらみの映画(のみならず作家としても)は、詩人としての彼の存在を認識しないと何もわからない。無国籍、世代超越、あまのじゃく。何物をも寄せ付けないようなパワーに対し、無理に寄りつこうとか、迎合しようとかすることに意味などないのだ。
町へ出て、田舎へ帰る。
ただそれだけ。
少年院から出てまた帰るのだ。
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