[コメント] わたしのグランパ(2003/日)
いい映画ですね。特に菅原文太の老年新たな魅力。『千と千尋の神隠し』の”かまじい”で触発されたんでしょうが、それにしても文太さんがとても魅力的に描かれていて、とても切なくなる映画でした。面白かった。
でもね、東陽一の古い映画は、こういうアプローチではなかった。『サード』にせよ『もう頬づえはつかない』にせよ、その画面から出る苦悩がにじみ出ていた。そう、東陽一には世間と隔絶する苦悩があったはずなんですね。
ところがこの映画ではすっかり角が取れて世間に迎合している。話の中味は確かに世間ずれしている老人の話ではありますが、見る側はこの映画を全く苦もなく受け入れることができてしまう。要するにキレイすぎなんですね。
東陽一だから、というわけではないのですが、彼は然るべく原作があって、それを無難にこなす映画監督なのでしょうか?この映画も大変無難です。
気になるシーンが沢山あります。原作は知りませんが、少女が椅子ごと浮かぶシーンの意味、武器密輸の意味、それとグランパが死んでしまった川の意味。グランパがおぼれたにしては、ラスト少女が川に裸足でたたずんでいたりして、こんな浅い川でおぼれるか?という矛盾を感じてしまう。こういう部分のこだわりが映画的であるかどうかの境目なんですね。
宮崎駿監督などは、こういう普通の人が気づかないどうでも良いシーンにこだわりますね。こだわりを失っては映画が映画的であることなどできないのですね。東陽一の失った映画的な世界は、少なくともこの映画で復活することはなかったように思います。
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