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[コメント] 黄泉がえり(2002/日)

色々過去にお世話になった人や、お世話になった映画のことを思い出して泣けた。
chokobo

例えば大林であれば『異人たちとの夏』や『あした』とか『さびしんぼう』などもそうかもしれない。思いを寄せる者とそれを失う者、そしてその人との再会などあり得ないことなのに思いを寄せる。それは人が記憶する動物だからだ。映画を見る映画に出会う、そして多くの映画を見て、過去に出会った映画やその登場人物に思いを寄せる。これが映画だね。懐かしい思いがした。

もっと違う見方をすれば『ゴースト』だってそうでしょう。これは生きたい、生きたいと思う男が策略巻き込まれて殺される。その思いが生きる彼女を救い、策略に陥れた男に真実を突きつける。これは怨霊である。この思いも良かろう。

しかしこの映画、兄弟のキャッチボールやラストの車の渋滞シーンを見てみれば何を思い起こそう。やはり『フィールド・オブ・ドリームス』であろう。あの美しい映画。美しい思い出、そして優しさ。この優しさが『黄泉がえり』にも見事に反映されている。生きる者が死んだ者を思うこと、そして死んだ者が生きる者に対する思いは理屈ではあるまい。その人という存在(プレゼンス)に対する思いそのものなのだ。この『黄泉がえり』の優しさは言葉にできない美しさと優しさを我々にもたらしてくれた。

黄泉がえり』の人々の世代も深みがある。親であったり、夫であったり、兄弟であったり、恋人であったり、そのそれぞれがこの映画をどのような立場、どのような世代の者をも包み込む優しさなのであろう。

ライブシーンも良かった。柴咲コウは有能な女優だ。この映画で唯一光を放つ役者だった。この映画の出演者は皆地味だ。主役の二人が最も地味である。しかしこれはそういう意図で作られた映画なのだろう。愛情を前面に押し出すことで映画全体が優しくなった。この主役の二人を美男美女が演じていたらこの映画は全く軽薄なつまらないものになっていたことだろう。唯一柴咲コウだけが光を放っていた。その光の中に亡霊か蛍かわからぬ光がここを照らす。この美しさ。見事であった。

(評価:★5)

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