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[コメント] メトロポリス(1927/独)

鬼嫁テア・フォン・ハルボウ論。〜ラングの装置は、女房の尻のパロディである〜
町田

ドイツ時代のラングの作品は、フランス・ヌーベル・バーグの作家らによって腐されて以来、最近までずっと軽視されていたらしく、室内劇による心理描写を基盤としたムルナウの評価の方が相対的には高いらしい。特にエリック・ロメールは彼の『ファウスト』を「完璧に計算し尽くされた傑作」と評しているとのこと。

各云う私も、明らかにムルナウ派のようで、ラングだったら渡米後のハードボイルド作品の方が全然好ましい、と素直に思えてしまう。

では、何故、ドイツ時代のラング作品が低く扱われるのか。答えは簡単である。22年以降、すべての作品の脚本を彼の鬼嫁テア・フォン・ハルボウが手掛けているからである。

テア・フォン・ハルボウ。1888年12月12日生まれ。脚本家、作家として活躍していた彼女は、1920年、既に一流に仲間入りしていた二つ下の気鋭監督フリッツ・ラングと運命的な出会いを果す。『戦う心』『死滅の谷』と共同作業を進めるうち、1922年、ハルボウが主演俳優ルドルフ・クライン・ロッゲと離婚して、二人は結婚する。その後、この夫婦コンビは『ドクトル・マブゼ』『ニーベルンゲン』二部作『メトロポリス』『スピオーネ』『月世界の女』『』と次々と大作を放ったが、1932年、セルフリメイクの『怪人マブゼ博士』がナチの検閲に引っかかり、上映禁止とされた辺りで明暗が分かれる。彼女は熱烈なゲルマン純血主義者であり、ナチ信奉者だった。1933年、ナチが第一党となると、ユダヤ系のラングは、妻に挨拶も告げず、単身フランスに亡命したという。夫婦の仲は冷え切っていたのだろう。ハルボウは続く『ハンネレの天昇』(1934:当時日本にも紹介された)他一本を自ら監督し、敗戦まで精力的に創作活動を続けた。一方、ラングは渡米して『激怒』『死刑執行人もまた死す』などの反ファシズム映画でますます名声を高めることとなる。終戦後、ナチ協力者にも拘らず、ハルボウはまだ映画を撮っている。何故かは判らない。ただしこの時代はドイツ映画にとって「喪われた時代」であり、世界的には完璧に無視されていた。世界はイタリア映画に夢中だったのだ。ハルボウは1954年の正月、ベルリンで死んでいる。66歳バツ2女の孤独な死である。翌々1956年、ラングは戦後初めて、分断された祖国の「西側」を訪れる。ここでこの元夫が如何な感傷に襲われたかは判らない。しかし彼が、元妻の原作を基に『大いなる神秘』二部作と、三度目の映画化となる『怪人マブゼ博士』を完成させたのは事実である。

映画マニヤの諸兄なら、誰でも知っていること(私が昨日知ったこと)を長々書かせて頂いたが、勿論私は、ラングのドイツ時代の作品群が、妻の「政治的・思想的問題」を理由に、不当に取り扱われている、などと抗議したわけではない。むしろ、こう云いたい。ラング映画に於けるハルボウの思想的偏向などは全く取るに足らない。民族主義者的取材にしても、社会民主主義的メッセージにしても、他国民によって批判されるべき性質のものではない。

ではハルボウの欠点とは何か。多くの先輩方同様、私が重要な欠点と認めるハルボウ脚本の特質、それはその通俗性である。これに尽きる。

彼女の作品は全て安っぽいメロドラマである。SiFi、スリラー、古典に現代劇と、どんなに体裁を変えてみても、彼女の物語の真ん中にはいつでも、愚にもつかないメロドラマの温泉が、肩まで浸かるには温過ぎる温度で流れ出している。未来都市も、月世界も、国際スパイの暗闘も、惚れっぽい美男美女のムードを盛り上げるためだけの、大掛かりな舞台装置としての役回りしか赦されていないのである。

ラングは、だから素敵なのだ。彼には全て判っていた。女傑ぶる姉さん女房の心のうちに潜む、この乙女ちっくな妄想癖が!つまりどういうことが云いたいか?

こういうことになる。ラングの生み出した巨大セットは全て、姉さん女房に対する恐怖の現われ、そしてその巨大な尻のパロディなのだ。

(@朝日ホール/ミュンヘン映画博物館による復元版 122分=24fps 無声)

(評価:★4)

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