[コメント] ウィスキー(2004/ウルグアイ=アルゼンチン=独=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ハコボは魅力的な人物で、勿論、馬鹿でも、鈍感でもない。
ただ、彼には欠点が二つある。
一つは、繰り返される日常の中で”徐々に訪れる変化”の実在を、信じることが出来ないことだ。それは、長い人生を生きるうえで、決定的に不利である。
彼がその感情を表に出すのは、サッカー観戦とギャンブルを含むゲーム、写真を撮るときだけである。どれも一瞬でその変化や結果を確認できるものばかりだ。
それはイグアスの滝を見て、その上流と下流にある、緩やかな河の流れを想像することの出来ない、せっかちな観光者も同じである。人生は旅行ではなく僅かづつ変化する景観を愉しむ旅なのだ、と誰か彼に教えてやってください。
もう一つは、自意識の過剰さだ。
彼には、自分の人生は自分で変えてみせるという無根拠な自負と、怠惰な諦めがあり、他人の援助や好意には頑なに耳を塞いでいる。甘んじた他人の行為には、報酬を以って均衡を図り、感情の交流を遮断しようとする。兄であり、経営者である彼の、哀し過ぎる性とも云える。
一方、マルタも、これまた非常に魅力的な人物だ。社交的とは云えないまでも、他人に気配りの出来る大人の女性だ。
気の小さい夢想家の彼女の特性は、ハコボとは正反対である。
好意に対して報酬を求めない点。際限ない不安に苛まれながら、現況を変えることには積極的な点。
彼女の、煙草を吸う遠い眼差し、映画を観る真摯な姿勢、髪を整える仕種。初めのうち孤独を感じさせるそれらは、次第に安堵感へと変化する。
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では、ラストについて私も書こう。
まず私も、このラストを、単なる「苦さ」と捉えてしまうことに反対である。
要は視点の問題である。かなり巧みな視点の入れ替えが行われていることにお気づきだろうか。
幾度と無く繰り返される出社シーンはそれまでは常にマルタの視点から描かれてきた。シャッターの前で待つ彼女。
ラストはそれをマルタの視点ではなく、ハコボの視点から描いているのだ。朝置きぬけて、いつもの食堂で朝食を摂るハコボ。
これこそがこの映画のミソであり最大のトリックである。いわゆる刷り込みというやつで、観ている人の99・9%は見事に引っかかったことだろう。
ハコボは物語の敗者である。その彼の視点を通しマルタの不在を確認することが、マルタの希望と失望をより鮮明にするなどと、一体誰が思いつくだろう?
『ウィスキー』は本物の傑作である。フアン・パブロ・レベージャ & パブロ・ストールは本物の映画作家だ。ウルグアイ、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン。南米から次々現れる新鋭から、目を離すことができない。
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