[コメント] TOMORROW 明日(1988/日)
画面上で展開する戦時下の平均的悲喜のこもごもと、画面の外に充満する(つまり私達の)やり場の無い怒りや無力感を、対比させようという試みならば、黒田アーサーと米軍俘虜に纏わる件は、明らかに筋を違えた蛇足である。
淡い恋の試練や、思いつわりを乗り越えて、洋々と迎えるはずだった明日が、
仕事への充実感、幸福な結婚生活が、必ず持続すると信じて止まなかった明日が、
無情にも彼らには訪れないこと、
我々は予め知っており、
だからこそ、絶望的な怒りと哀しみ、恐怖を教授し得るわけだが、
ならばあの苦い、黒田アーサーと米軍不慮のエピソードは、余計だったのではないか、
理想への挫折、無力感に苛まれ、娼婦(伊佐山ひろ子)との朝を迎える彼の見た、8月9日の空は、他の人物たちが見たそれとは決定的に異なるはず、
それを一緒くたに描いてしまうことは、私には、はなはだ筋違いに思えてしまい、
それが、製作者の(あるいは政治的ともいえる)理念と結びついてしまっているだけに、なおさらの厭らしさを感じる、
それはつまり、崇高な精神とスポーツマンシップに則った戦争ならば善し、俘虜虐待と原爆投下はルール違反でNG、
そんな浅薄な曲解が引き出されることを、赦してしまっていることに他ならない、
私はこの映画には、もっと無垢に、もっと純粋に力強く在って欲しかった。
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