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[コメント] ペパーミント・キャンディー(1999/日=韓国)

汚れちまった俺の手には、今、何が握られているのだろう? そして、この足は、一体何処へ引きずられていくのか? 現在、懐に『ペパーミント・キャンディ』は、幾つ残っているのか?
町田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どん底まで落ち込んだ一人の実業家の人生を振り返りながら、1979年から現在までの、韓国都市部に於ける高度経済成長の過程を再検証しよう云う企画。

大変、野心的な面白い発想だし、ソル・ギョングが刑事になったばかりの頃を描いたシークェンスに於ける、開発途上の地区の安食堂の向かい、自転車を転がす空き地の造型なんかは見事に決まっていたのだが、その反面、随分わざとらしくて、胡散臭いと思われる描写、物足りないと思われる部分も多く散見され、些か読後感に乏しい凡庸な出来に終わってしまった。

私は、日本の在る人気推理小説家の大ファンで、その所為か最近、「トラウマ」と云う言葉が大嫌いになってきているのだが、この映画が描かんとしていることは正にそのトラウマだ。

軍隊時代や刑事時代に受けた心身の傷が、一人の純粋な男を変貌させてしまった・・・。唯一残された希望の光にも、間に合わなかった・・・。男は死ぬしかなくなった・・・。金は無いし、酷い時代だったけど、それでも昔に帰りたい・・・。

映画がそんなことを描いて、それだけで終わってしまって、果たしていいものだろうか?そこから再生するにせよ、更に落ちて這いつくばって往くにせよ、最期の最期まで主体性を持ち得ず自ら死んでゆく男の人生など振り返って、それをカメラに撮り収めて、今、生きて、その映画を観ている人々に、一体どんな共感を得ようと云うのか?

阪神淡路大震災を生き延びて立派にやってる人がいる。新潟中越大地震で家や家族を喪って希望を失わない人がいる。韓国だって皆、そうだ。駄目な奴だって勿論、たくさんいるだろう。しかし、「俺が駄目になったのはXXXの所為だ」なんて云ってるような奴は、映画の主役にゃ到底成り得ない。本人は云って無くても、監督が云っちまってるんだから、それは同じことだ。

私は、この物語に、この男の人生に、全く共感することができない。

などと、

散々書いて於きながら、「映画」としては中々良く出来ている、とは思わざるをえなかった。前作『グリーンフィッシュ』と比較すれば、その上達ぶりには目を見張るものがある。この監督の画面演出は、暗い空間よりも、照明や陽光の一杯に当てられた、明るい空間での方が断然冴えている。私は、この監督の描く「昼下がりの室内」が大好きで、奇妙な幸福感さえ感じてしまう。

役者ソル・ギョングの存在も大きい。市川雷蔵大杉漣の間を平気で行き来する顔面と挙動の表現力は、お世辞抜きでワールドクラスだ。

*以下加筆*

とある韓国映画情報サイトによるとイ・チャンドンは映画監督になる以前は社会派の小説家だったらしい。してみるとなるほどと思える箇所がある。それは小道具としてのカメラの使い方だ。映画制作という作業と直結するこのアイテムを、「再生」の道具として物語に有機的に絡ませることが出来なかった事実は、本作が撮られた1999年の時点、即ち『オアシス』以前の、イ・チャンドンの限界、=彼が未だ社会派小説家であったこと=を如実に顕していると思う。病床のムン・ソリが、夫に懇願してまで変換せしめたカメラの意味を、夢と再生への手掛かりを、ソル・ギョングは一体何と心得ていたのだろう?その死に目に会えなかったからというて、声が聞けなかったからというて、それでもうカメラを置き捨て、三日後には自殺を図ってしまうような彼にとって、彼女の存在、彼女との思い出とは一体なんだったのだ?私は確信する。彼は、彼女がこの世で最期に行った尊い事業の一切を無に帰した、とんでもない大馬鹿ヤローである。

イ・チャンドンの、当時の政策に対する怒り、経済成長の代価として人間性が失われたことへの悲しみ、そういうものは、本作から、確かに伝わってきた。しかし、「愛」を、在りもしなかった「愛」を、社会を批判し、暗い時代を呪う為の単なる道具として捏造してしまっては、いけない。

私は『オアシス』を愛している。あそこには確かな「愛」があったから。だからこそ、私は『ペパーミント・キャンディ』を愛せない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)おーい粗茶[*] ゑぎ[*] ジョニー・でぶ

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