[コメント] 緑の光線(1986/仏)
ロメールの映画原論
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
最後のシーンでモンタージュの罠に。
最後のカットで瞬間、緑に見えるーかーわかんないでもやっぱり緑っぽいーという素朴な好奇心に捕われた。登場人物の二人も当然それを見たからあんな顔したのだろうと直前のカットから推し量かって、涙した。
でもちょっと待ってみよう、と
直前の二人のショットとラストの「緑の光線」のカットのつなぎは今までになくよそよそしく、不自然だ。もし二人がこの光景を目にしているという「リアリティ」を出したかったら切り返して肩なめのショットなどを使えばいいのにそうではない。
二人はこの光景を観ていないかもしれない。映像のつなぎとして技術上実際観ていなくとも成立する、といったレベルの事柄でなくて映画を観るにあたって、私たちの眼の前にあるものと彼女たちが観ているものはちがうかもしれない、という疑いを促す類いのものだ。
そうやって観ている私の特権性と彼女たちへの彼岸的遠さに気づかされてしまった。
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