[コメント] 甘い生活(1960/伊=仏)
社会批判に足を突っ込みながらも、フェリーニの映画はやっぱりサーカスだ。祭りだ。終わったあとの静けさに、空しさしか感じなくとも。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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その空しさを忘れるためまた騒ぐ、狂喜乱舞する、でも残るのはやっぱり空しさだけ。
中途で挿入される奇蹟のエピソードで、混乱する人々が描かれるが、フェリーニの映画は個の混乱、混沌とした個の内面を描く。だから古びない。
フェリーニは前半部分でハリウッドのグラマー女優シルヴィア(アニタ・エクバーグ)を撮った。協会ではしゃぐ彼女をやや皮肉っぽく、トレヴィの泉で戯れる彼女をとても魅力的に。甘い生活を知ってしまうと、容易にはその味を忘れられない。アルコール依存症などと同じだ。
主人公マルチェロはそんな生活を抜け出さなきゃいけないな、とは思っている。
そんなマルチェロの唯一の心のよりどころがスタイナー。彼はこうつぶやく。
「情熱も感情も超越した芸術の中に生きることが出来るなら、それは最高だ」
最初観たときはフェリーニはマルチェロに自分を投影していたのだと思ったが、このせりふを聞いて、本当はスタイナーこそが監督の反映だったのではないかと思えてきた。
そのスタイナーの死。自殺。熱狂のあとのけだるい倦怠感の末の空しさ。その空しさの先にあるものも同じ空しさでしかないのか。だからまたもとの生活に戻っていく。
ラスト、浜辺で叫ぶ少女の声を聞くことの出来ないマルチェロ。スタイナーは聞こえたからこそ自ら死を選んでしまったのか。
フェリーニの感じている孤独の大きさを痛感させられた。
尺は長いが、退屈さとは無縁の、懐の深い映画だ。
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