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ぽんしゅうさんのコメント: 更新順

★4M★A★S★H(1970/米)「別に死にたきゃかまわないけど、俺は生きてる方が好きだね」くらいの、軽く乾いた感じが好き。あまりに軽すぎて気づきにくいが、話は反戦云々を通り越してエロスとタナトスの域にまで及ぶ。「肉体あっての精神」を最もよく知っているのは神父よりも外科医。[投票(12)]
★4あの子を探して(1999/中国)急速な資本主義化が生む経済ギャップを皮肉りつつ、どう見せてもあざとくなりそうな話を、またもチャン・イーモウはさらりと撮り上げてしまう。大人も子供も全てを金銭に置きかえるさまが醜いと思いつつ、自分のことは棚に上げているのにふと気付く。[投票(1)]
★3流星(1999/香港)このおとぎ話を現代に成立させるためには、時間の停止が必要だった。東京でもニューヨークでもなく、複雑な歴史と文化が混在し時代の感覚が麻痺したような場所。香港だからこそ、情緒過剰に陥ることなくギリギリの線で物語をつむぐことができた。 [投票]
★3スパイシー・ラブスープ(1998/中国)五話構成のオムニバスですが、どのエピソードも話と演出が平板で退屈。唯一、第四話での両親の離婚をやめさせようと懸命になる少年の無邪気さと健気さ、そして家族三人三様の切なさが心に残るぐらいかな。[投票]
★5真夜中のカーボーイ(1969/米)日常の断片ショットは社会との、回想ショットは心の枷との、二人の客観ショットは希望との距離。三つの距離が軽快にモンタージュされながら、テキサス、ニューヨーク、マイアミという距離を移動する。なのにリコは最も離れた世界へ去る。縮まらぬ距離、孤独。[投票(4)]
★3火の鳥(1978/日)どう転んでも揺るぎようの無い名作「火の鳥」を、アニメーター出身の劇映画作家市川崑がどんなドラマに仕立て直すのかと期待したのに、完全トレースでは拍子抜け。貧相な実写とアニメの合成は痛々しく目を覆うばかり。チャレンジ精神にのみ3点。[投票(2)]
★5遊びの時間は終らない(1991/日)社会は本音と建前で成り立っているから生きやすいという暗黙の事実を、唯一知らぬ振りして無視するのが国家権力機構と融通のきかない生真面目人間。そんな裸の王様的「権威と権力」を笑い飛ばす快感。もっと評価されるべきコメディ映画の傑作。[投票(3)]
★3楢山節考(1983/日)人間の生と性が決して特権的なものではない、という警告には深く同意する。しかし、動物や昆虫を繰り返し挿入しても映画的緊張感は分断されるだけで、そこからは何も見えてこない。恐ろしく単純なミス。[投票(4)]
★4鬼畜(1977/日)捨てる女・小川真由美と、拒絶する女・岩下志麻。立ち往生する男・緒形拳。誰が悪いとか、どうすれば良いとか、考える余裕すら与えられず不快な世界へと引きずり込まれる。井手雅人野村芳太郎が仕掛けた蟻地獄のような不気味な日常。 [投票(2)]
★4リオ・ブラボー(1959/米)冒頭の10分で話の設定を全て終え、後は緊張感とユーモアの絶妙のバランスで2時間超を見せてしまう手腕はさすが。ディーン・マーチンリッキー・ネルソンの歌まで聞かせる大サービス。アンジ―・ディッキンソンのあばずれぶりも可愛い。 [投票(2)]
★2騎兵隊(1959/米)北軍主役でありながら南軍への配慮は忘れず、ジョン・ウェインウィリアム・ホールデンの両名優に気を配り、南部のお嬢さんコンスタンス・タワーズとのドラマは中途半端に終わる。気配り過ぎの八方美人映画。面白いはずが無い。[投票(1)]
★3リオ・グランデの砦(1950/米)15年も単身赴任して離婚同然の男の職場に突然、息子と妻が現れるという設定のなかジョン・ウェインが見せる戸惑いの芝居がオチャメ。お約束どおり先住民族は超極悪。執拗な南部(南軍)への郷愁と礼讃。いつものジョン・フォード[投票(2)]
★3アパッチ砦(1948/米)騎兵隊はアパッチの力を認め、酋長には誇りと威厳が漂う。中佐・フォンダの極端なおごりは、先住民族に対する婉曲な反省にも見える。フランク・ニュージェントの脚本は10年早かったか、あるいはまったく別のタッチで撮られるべきだったのではないか。[投票]
★3赤い河(1948/米)東京から鹿児島まで達するだろう距離を、一万頭の牛を連れて移動するという、とんでもない計画と同じくらい、とんでもない労力を撮影に費やしたと思われる圧巻のスペクタクル。そこに程よく、疑似親子に托した父権と息子の成長譚や母性の包容力がからむ。[投票]
★4駅馬車(1939/米)駅馬車が荒野を爆走するたびに、映画も驀進する。駅馬車が街に着くたびに、ドラマが生まれる。その緩急のコンビネーションが生み出す心地よさこそ、ハリウッド映画の醍醐味ではなかったのか。そこには、忘れてはならぬ、まして捨ててはならぬ映画の魂がある。[投票(8)]
★3夜と霧(1955/仏)一人ひとりの心に棲む魔物を束ねてコントロールし得るという、危うい確信をふりかざす幻想組織、国家。我々が日々生活している基盤のなんと脆弱なこと。自分が被害者になる恐怖もさることながら、加害者になりうるという恐怖を忘れるべきではない。 [投票(2)]
★4西部戦線異状なし(1930/米)戦争の意味も理由も知らず、鼓舞されるがままに駆り出された若者達の無邪気さと無念さが悲惨だ。生身の人間同士の殺し合いの場として描かれる戦闘シーンは、現代のどの戦争映画も及ばないほどの暴力と死にあふれている。[投票(1)]
★4最後の猿の惑星(1973/米)知識の差。運動能力の差。人種の差。生き物は、いや私は何故その差を恐れるのだろう。その恐れの無意味さに気付いた者は、その差を埋めようとする。差は埋めるべきものでは無く、認めるべきものであるのに。分かっているはずなのに、また・・・[投票(1)]
★3猿の惑星/征服(1972/米)革命が起きアメリカが敗れる?そんな映画があったのだ。赤い服で階段を駆け下りる猿達のさまは、プチ『戦艦ポチョムキン』ではないか・・・と思いつつ、人間(アメリカ)に勝つのは人間ではなく、あくまで猿だという選民意識が見えなくも無いが。[投票(2)]
★2トワイライトゾーン 超次元の体験(1983/米)第一話の逆転差別は、苛められ方が生ぬるい。第二話の老人達に痴呆症への恐怖と正当化願望を重ねるのは思い込みか。第三話の少年が黒人だったら、孤独と暴力は意味を持ち傑作になっていたのにと惜しみつつ、ハッタリと脅しだけなら第四話がとりあえず合格。[投票(2)]