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ぽんしゅうさんのコメント: 更新順

★4モダン・タイムス(1936/米)前半の工場労働が機械と働くことの非人間的乾きの笑劇化なら、後半のデパートやクラブでの労働は人の欲望に翻弄される徒労の笑劇化。つまり人の苦痛のデフォルメこそが笑いの源だということ。ステップを踏むようなポーレット・ゴダードの身のこなしがキュート。[投票(1)]
★3ひき裂かれた盛装(1967/日)藤村、成田、小沢の化かし合いがスリリングで目が離せない。特に、華奢で清楚な藤村志保の暗躍ぶりは新鮮で、その涼しい視線に心の痛手の大きさが漂う。どん底から地力で這い上がったこの3人に比べ、成金お嬢さん安田道代の「愛に生きる」宣言が軽佻。[投票]
★4新宿アウトロー ぶっ飛ばせ(1970/日)脱プチブル・アウトロー原田によって、サソリ(成田)と死神(渡)の旧体制的しがらみに打ち込まれたクサビは、死神を組織から引き剥がし、個人V.S組織の構図を構築するものの、所詮行く末も身の置き所も定まらぬ「個」は社会の表層を浮遊物として漂うという寓話。[投票]
★4フレンチ・コネクション(1971/米)過去の映画文法に背を向け、つまりは、社会通念や倫理を無視して「逃げる者と追う者」の純粋性への特化を試みているという点において、娯楽活劇分野でアメリカン・ニューシネマの名に値する数少ない佳作。理由や理屈なきポパイの猪突猛進ぶりは70年代の気分。 [投票(3)]
★3二等兵物語 前篇女と兵隊 後篇蚤と兵隊(1955/日)絵に描いたようなお約束の良心喜劇。公開当時には、それなりの意義があったのだろうが、今となっては終盤の伴淳の涙ながらの正論演説が鬱陶しい。戦時下の理不尽さのなかでひと際輝く、将校の愛人役関千恵子のコメディエンヌぶりと伸びやかな肢体が印象的。[投票]
★2顔役無用 男性No.1より(1955/日)歌まで飛び出す鶴田浩二の二枚目ぶりと、芝居がかって形式的な三船敏郎の無骨さのトーンが合わず、映画がぎくしゃくして物語が全然走らない。浦辺粂子の登場で、いきなりベタな母子ものにおさまったのには唖然。時代に乗り遅れた山本嘉次郎無残。[投票]
★4台風騒動記(1956/日)田舎議会の出鱈目さはみごとにニッポン土着社会の縮図の様相を呈し、“こうゆう奴、いる、いる”感満載のミニ・ハマコーみたいな三島雅夫の町会議員が笑わせてくれる。山本薩夫の生真面目な破綻なき笑を、生真面目に楽しむ正統的戦後民主主義コメディ。[投票(1)]
★4社長三代記(1958/日)森繁、小林、加東、三好、三木の途切れなき組織論理の連鎖に掉さす、司、団、扇、笹の「おんな」と、越路、杉、雪村の「女」の心意気。笠原良三松林宗恵が生み出す大枠の安定があればこその、芸達者たちの約束された笑いの揺さぶりにどっぷり浸る快感。[投票]
★3コックファイター(1974/米)話しの運びといい、闘鶏シーンといい、大雑把で愛想のない語り口だが、このぶっきら棒ぶりこそがフランク(ウォーレン・オーツ)の生きざまそのものに見えてくるから面白い。「鶏」はあくまで手段であり、その「生」に感情移入しないドライさに虚無が漂う。[投票(1)]
★3ももいろそらを(2011/日)被写界深度の浅い白黒画面は「個」しか切り取らない。曖昧なネガティブ世界(新聞)に見切りをつけて、自らの足でポジティブを探して無意識につながりを模索する高校生たちは、失くしたものと得たものが何であるかさえ気づかない。青春真っ盛り、池田愛好演。[投票]
★4桃さんのしあわせ(2011/中国=香港)女の幸せは子を育て料理をつくること、つまり「私」を無にして尽くすこと、と言い切ると叱られるだろうか。でも、電話の向こうの「血のつながらない子供達」の戯言に、嬌声を上げるタオさんの無邪気な破顔が思わず涙を誘うのは、確かにそこに女の幸福を見るからだ。[投票]
★4東京家族(2012/日)「東京物語」が価値の大転換のなか過去との決別の時代(昭和28年)に人生の寂寥を描いた喪失の映画なら、本作は自信と希望を見失った暗く長いトンネルのような平成の世に、微かな光明を見い出す蘇生の物語だ。50余年の時空を超えて「今」を捕え直す巧みな翻案。 [review][投票(5)]
★2つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語(2012/日)女の描かれ方がみな画一的かつ表層的で退屈。彼女らの運命を左右し、生きざまを支配している「何か」が立ち上らず、艶(つや)の魔力や魅力も絵空ごとのまま「愛の不可思議」も空回り。形而上を志向しきれず、といって娯楽にも徹しきれない行定演出のもどかしさ。[投票(2)]
★3赤い影法師(1961/日)ノルマ消化のために東映京都が乱造した連作時代劇の第一話だろうか。内容はともかく興行史的には価値がある。今では名だたる若手俳優を、少しずつ且つ大量に投入する御前試合で手軽に映画を盛り上げるアイディアは秀逸。木暮実千代の熟フェロモンに+1点。[投票]
★4十七人の忍者(1963/日)歯切れ良く、きりりと引き締まったモノクロ映像がクールで心地よい。十七人と銘打ちながらエリート伊賀(大友柳太郎)対、傍系に追いやられた根来(近衛十四郎)というの二人の「意地」へと収斂させた構成が秀逸で、両御大の立ち居振る舞いも迫力満点。[投票]
★4忍者狩り(1964/日)「幕府方忍者集団」という公のテロリスト対、その闇の公権力により没落した「寄せ集め浪人衆」という構図が魅力的。ストイックな音響と撮影が一瞬の弛緩も許さず、テロルの脅威と体制崩壊の苦渋を知る近衛十四郎の凄みが支配する非情エンタテインメントの傑作。[投票(2)]
★3十一人の侍(1967/日)十三人の刺客』の斬新さの下に、古典的安全パイ「忠臣蔵」を敷いた時点で新味さは失われ、総体としての面白さは限定されてしまい、待ち伏せシーンの光や押し寄せる馬の足音、雨に煙る芦原の乱闘といった部分のみ印象に残る。西村晃の芝居が異質で浮き気味。[投票]
★4真昼の暗黒(1956/日)公開当時、映画の年間入場者は10億人前後。まだ映画がメディアとして存在感を示し、ジャーナリズムの一翼を担っていた時代だ。とはいえ本作は大手配給網にはのらず巡回上映されたのだろう。多彩な出演者とストレートな告発ぶりに、当時の独立プロの力を思い知る。[投票]
★4にっぽんのお婆あちゃん(1962/日)例えば『楢山節考』の姥捨ては「生きること」を引き継ぐための知恵であり、そのシステムは謙虚と愛情によって成立していた。核家族化が進む高度経済成長期、この昭和の姥捨ては、親子双方の主張、つまり「エゴ」の衝突に起因する。豊かさが心を侵食するという矛盾。[投票]
★2二百三高地(1980/日)難攻不落を強調するために、丘に這いつくばり傷ついていく兵士の大群が繰り返し、しかも延々と描かれるわけだが、サスペンスはゼロで時間の無駄。あおい輝彦ら兵士の逸話も通俗。乃木(仲代達矢)と児玉(丹波哲郎)の葛藤劇に多少の魅力があるだけ。[投票]