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ぽんしゅうさんのコメント: 投票数順

★3緋牡丹博徒 二代目襲名(1969/日)ハッピ姿で工事現場をウロチョロするお竜さんが、勇ましいというよりはどうにも可愛らしく見えるのです。口紅の色もいつもより薄いし・・・。大風呂敷(長門)、半次(和崎俊哉)、健さんまでもからみ方が半端で金丸金吉(遠藤辰雄)に全部持っていかれる。 [review][投票]
★2緋牡丹博徒 一宿一飯(1968/日)初期の監督作ながら、すでに鈴木則文のドタバタアクション趣味が随所に顔を見せている。虎熊(若山富三郎)のキャラなど第一作より、こちらが鈴木のイメージに近いのだろう。その分、仁侠映画の様式美はおざなりで、お竜と鶴田に突き抜けた美しさが皆無。[投票]
★4昭和残侠伝(1965/日)侠気血走る三白眼。ぐいと睨んだ視線の先で、すべて承知と応える目。先を信じて散り行く男。明日の望みを亡くした男。その目と、その目の交錯に、浮かび上がるは憤怒の闇よ。そんな闇などこのドスで、斬ってみせましょ、斬り続けましょう。共に明日が見えるまで。 [review][投票]
★3座頭市御用旅(1972/日)さすがに開始から10年を経ると、設定は同じで役者だけ入れ替えただけという脚本の行き詰まり感は否めず、よほど緻密な演出をしない限り話しの機微が際立たず市が活きてこない。70年代を席巻した、薄っぺらで貧相なシンセサイザー音楽にシリーズの末期感が漂う。[投票]
★3座頭市と用心棒(1970/日)映画全体が岡本喜八らしい弾み方をしているのだが、勝新、三船は想定内の域を出ず、むしろダメ親分米倉斉加年、チンピラ寺田農、岡引草野大悟ら若手の軽やかさに、『肉弾』の寺田や『吶喊』の伊藤敏孝と同じ岡本パワーの源泉を感じる。[投票]
★3座頭市あばれ火祭り(1970/日)妾の競り市に始まり、吉行仲代のただならぬ関係を経て、ピーター登場とフリチン大立ち回りあたりまでの怒涛の展開に一気に期待が膨らむも、市(勝新)と喜代(大原麗子)のチンタラ道中とともに話の勢いも急減速。終わってみれば支離滅裂。[投票]
★3座頭市牢破り(1967/日)60年代後半という時代背景臭ぷんぷんの若き中島丈博脚本で、これまた山本薩夫色満開の「改革/革命」と「暴力/非暴力」という命題が、いささか大仰過ぎる感はあるものの、これはこれで面白い。市のアップの多さに、勝プロの意気込みとこだわりを見た。[投票]
★4不知火檢校(1960/日)健常者の権力志向と障害者のそれでは、マイナスからスタートするという点において必要とするエネルギーの差は歴然としている。想像を絶するエネルギーの発散は常識を駆逐し、だかろこそ観るものを魅了する。勝新の風体ほどハンディと権力が似合う者はいない。[投票]
★3座頭市血煙り街道(1967/日)血笑旅』の赤ん坊や『二段斬り』の娘と違い、この年齢の子供が市にからむとあざとさが先に立ってどうもいけない。これではやわな話にしか成らないことなど三隅研次は百も承知で、その鬱憤を晴らすかのように突如舞い降る雪中のクライマックスで溜飲を下げる。[投票]
★2座頭市海を渡る(1966/日)どこぞの柔な保安官と違って、座頭市はとてつもなく強いのです。たかが馬喰一党などに絶対に負けるわけがないのです。罪悪感にさいなまれようが、純な娘にほだされようが、敵を前に勝手に身体が反応するのが座頭市。だから『真昼の決闘』は成立しないのです。 [投票]
★2ファイヤーフォックス(1982/米)突如飛来するヘリが撒き散らす不穏さは秀逸なれど、「あんたしか、おらんのや」の一言であっさり復帰する心を病んだパイロットに説得力ゼロ。後は、お決まりの設定をお決まりどおりにトレースして「ハイ!」終わり。モーリス・ジャールの音楽もダサイ。[投票]
★3ガントレット(1977/米)上司の一声で送り出されたものの、何が何やら分からぬうちに豪雨のごとき銃弾にさらされるショックリー(クリント・イーストウッド)にベトナムでの米兵を重ねるのはうがちすぎか。空撮含めてアクションは快調なれど、単調にしてご都合主義の脚本が今ひとつ。[投票]
★3座頭市地獄旅(1965/日)どこかミステリアスな関係を漂わせながら、淡々と進む話が一気にクライマックスで切り結ぶ伊藤脚本の妙と、心憎いばかりに勘所を押さえた三隅演出に魅せられる佳作。市とおたね(岩崎加根子)の出会いのエピソードが、まったく描かれていないのが不思議。[投票]
★4座頭市二段斬り(1965/日)斬新な井上昭演出と大胆な森田富士郎撮影のモダンさは、まさに市川崑を彷彿とさせる60年代ニューウェーブ。シンプルな悪徳話に、三木のり平の粋と笑、加藤武の悪と渋、坪内ミキ子の美と悲、小林幸子の純と幼が程よくからむ娯楽秀作。[投票]
★3座頭市関所破り(1964/日)碁盤や独楽といった肉厚木工品を駆使し、大胆かつケレン味たっぷりに描かれる市(勝新太郎)の剣さばきの豪快さに心踊り、善と悪というシンプルな枠組みすら失い、人生の敗残を生きる酔いどれ爺伊井友三郎の卑しくも悲しい存在感に心打たれる。[投票]
★3続・網走番外地(1965/日)冒頭の船上シークエンスがもたつくも、その後の「まり藻」のころがり方がなかなか心地よい。高倉と嵯峨をかき回す、中谷一郎安倍徹、ストリッパー三原葉子と痛快老人嵐寛寿郎らの脇が手堅く渋い。善悪総出で乱舞する祭りに思わず苦笑のB級快作。[投票]
★3恐怖分子(1989/台湾=香港)一発の銃声によって呼び覚まされる都市が抱え込んだ不安。それは、そこに暮らす個々人の心の欲望や心の不安定さの総体であり、見知らぬ者どうしの不安や不満がその生活空間の中で、いつの間にか呼応し始めるさまが面白い。不安こそが、全ての関係の疎密の尺度。[投票]
★2晴れたらポップなボクの生活(2005/日)今どきの若者が「夢はインド放浪」とは、この時代錯誤感には恐れ入る。これまた大時代的設定の池畑慎之介は、ホームレスにもアウトローにも見えず、河原の住人たちのドタバタ劇も空回り。どこにも「今」が存在しない絵空ごとなどに何の意味が見出せようか。 [review][投票]
★4カンダハール(2001/イラン=仏)不自由が常態化した社会の中の日常として、繰り返し描かれる過剰さ。その過剰は、我々にとって、ときに滑稽にうつるかもしれない。しかし、その感情の露呈が何に起因しているかに思が至ったとき、そこに込められた個々の意志の持つ悲しみの深さに慄然とする。 [review][投票]
★4追想(1975/仏)一旦、ことが起きてしまった後に聞く「決して暴力は行使してはならない」という題目ほど虚しいものはないかもしれない。ひどく悲しいが、ある種の美しさを放つ暴力というものが、まぎれもなく存在するという矛盾。もともと愛は、理性を超えた存在なのだから。[投票]