[コメント] 河口(1961/日)
我が身を利用しながら岡田茉莉子が性的な匂いをまったく漂わせないのは中村登の瑕疵だろうか。それとも、芸者や水商売ではなくカタチだけは事業家だからだろうか。山村聰との関係は、奔放なくせいにうぶなタレントと沈着冷静なマネージャーのようだ。
回想から始まって、物語(事態)の転機にはモノローグに沿って岡田茉莉子が、波打ちぎわやビルの谷間を歩く(彷徨)するシーンが頻繁に挿入されるのだが、その行きついた先が大海に臨む「河口」ということなのだろう。
古風にしろドライにしろ、抒情的にしろ打算的にしろ、いずれにせよ李枝の「女性像」の機微が時間と心情の流れのなかに立ちあらわれてこないのがもどかしかった。
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