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[コメント] 有りがたうさん(1936/日)

こんなにも車窓からの情景を多用した映画を私は知らない。車中で交わされる会話に透ける生き難さの心象として、峠越えの勾配や距離感に人生の厳しさや困難を、さらに街道を行き来する人々の姿にひた向きに生きる者の力強さが「温もり」と共にさらりと写し込まれる。
ぽんしゅう

同時代のジョン・フォードの『駅馬車』(39)と対をなす「移動」映画の傑作でありながら、その「移動」の表現はまったく対照的だ。「駅馬車」の移動は、ぽっかりと雲が浮かんだ空と岩山で構成された荒野を疾走する馬車という「画」によって表現された。乗り合わせた乗客たちのドラマは、馬車が次々と立ち寄る途中の街で展開し転がり続ける。あくまでも「出来事」は人為によってなされ、移動は「出来事」を進展させるための手段だった。

本作の「移動」は、まったく逆である。風景の中を行くバスという「画」もあるにはあるが、それは必然にせまられたあくまでも限定的な(例えば峠の坂道を登る俯瞰)ショットであり、もっぱら「移動」は車窓からの街道の風景と、すれ違う、あるいは追い抜いていく人々によって表現される。乗り合わせた客たちのドラマは大した進展を見せることなく、二十里(80km!)におよぶ街道で繰り広げられる日常のなかを淡々と進む。ドラマは、その日常風景の向こう側に見えるのであり、ここでの「移動」は日常に透ける人生(ドラマ)を、客観視するための手段として用いられているのだ。

つまり「駅馬車」のドラマは人の個性によって作り出されるのだが、「有りがたうさん」のドラマは人生の起伏によって編まれるのだ。あまりにも日本的な感性。世界に誇れる傑作である。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)づん[*] ちわわ

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