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[コメント] 略称・連続射殺魔(1969/日)

淡々と追い続ける永山則夫が19年の間に見たであろう、あるいは見たかも知れない風景は実は何も語っていない。分かることは、その風景が何の変哲もない日常であること。そして永山が、決してその空間に定住することのできない放浪者であったと言うことだけだ。
ぽんしゅう

新藤兼人は、永山則夫と彼が起こした事件を『裸の十九才』で感情を殺して描いた。しかし、この足立正生の『略称・連続射殺魔』を見ると新藤作品がいかにウェットであったかが良く分かる。この事件の原因が、永山が生まれつきの、あるいはその生い立ちゆえに社会のどこにも居場所を定めるのことのない放浪者であったこと。そして事件の結果は、銃を手にしてしまった放浪者が、当然のごとく弾丸を放ちながら日常の中を彷徨ったために日常に穴が開いたという当たり前の帰結だったのだ

日常に向けて弾丸を放ちながら旅を続けるという、彼にとっては至極当然の行為が、日常は平穏であるに違いないと信じ込んでいる我々の誤解と衝突した。ただそれだけのこと、だったのだ。現代では、事件が起きる度にメディアも我々も、その原因探しに奔走する。それは日常が平穏だと信じたい我々凡人たちの薄っぺらな自己満足行為でしかないのだろう。本当のことを、見たり知ったりしたくないだけなのだ。

そのことを、このドキュメンタリーは真正面から我々に突きつける。本作がカラー撮影されていることは、この時代と今の時代は地続きであること、すなわち日常はいつの時代でも日常なのだという当たり前のことを現代の我々に誤解なく認識させるということにおいて、非常に重要であることを付け加えておく。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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