[コメント] カミュなんて知らない(2005/日)
確かに人の心の深淵には己も気づかぬ得体の知れない衝動が潜んでいるもので、常識や規範に封印されたその非合理的衝動は、ある状況や思いが飽和点に達したときに誰にも解せぬ行動として日常の中に立ち現れる。心の不可視的深層に共振する軽やかだが不気味な映画だ。
「何故、そんなことをしたのだ」と問われ、「ただ、やってみたかった。やったらどうなるか試してみたかった」と答えるしかない行為。狂っていようが、いまいが言葉では説明できない衝動というものは誰の心にもあるものだ。
例えば子供の頃、こんな経験をしたことがないだろうか。足もとにうごめく一匹の虫を意味もなく踏みつぶしてみる。河原に放置された空き瓶を拾い上げたたき割ってみる。「やってみたかったから」と、答えるしかない無意味な衝動。
そんな衝動を誰しもが抱え込み懸命に周囲とのバランスをとりながら形作っているのが、この「人間の社会」なのだろう。本来何時その衝動をあらわにする者が出現してもおかしくない場であり、あらゆる者が行為者にも被行為者にもなりうる場が社会なのだ。
そんな危うさをはらんだ場で、互いに何食わぬ顔をして、しかしせいいっぱい生きているのが人間であり、人が人の、そして己の不気味さを肯定することこそが、生きるということなのかも知れない。そう考えれば、日々人間社会の中で突発する不条理な出来事の数々にもおのずとうなずける。
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