[コメント] 嫌われ松子の一生(2006/日)
圧倒的なスピードで一気呵成に一生分の悲しみを総体として見せることで、与え続けても報われることのなかった愛こそが、最も崇高な愛なのかもしれないという伝説的逸話に説得力が生まれている。そこには、映画だからこそ表現できる愛のカタチが確かにある。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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川尻松子の放つ神々しさは、崇高でありながらも決して宗教的な空疎感がなく、どこまでも地に足の着いた人間臭さが漂う。それは、この悲惨な物語には一見奇異に見えるミュージカル仕立ての演出の賜物だろう。
元来、歌と踊りと音楽、そして過剰な色彩は人の喜怒哀楽を露わにし感情をトリップさせてしまう祝祭性がある。どこまで行っても報われない悲惨な物語にミュージカルという祝祭的演出が加わることで、松子の人生はドロドロとした現実(実際に作中では克明に年代が記される)から程よい距離で浮遊し始める。
それは、松子の愛こそが神の愛であるという伝説と、東京の荒川から時空をさかのぼり福岡の筑後川(川もまた、この世とあの世を隔てる祝祭性の象徴だ)へと回帰するファンタジーに映画的説得力を持たせている。
人は誰しも幸せを望むが、夢がかなうことなど稀なのだという現実。しかし、それを恨むのではなく望み続けることが愛なのだというファンタジー。もし、この映画が単純なドラマ形式で作られていたなら川尻松子の一生は、ここまでのメッセージを見る者に届けることはできなかっただろう。
中島哲也の、物語を映画として構築する並々ならぬ才能を見せつけられた思いがする。
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