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[コメント] 日本沈没(2006/日)

現在の技術を持ってすればこの程度の破壊描写は当然で、その決め技をドラマ部に対していかに効果的に使うかが見世物映画としてのポイントのはずだが、どこまで行ってもそんな工夫は見当たらず、そのうち薄っぺらな「愛の話」が薄気味の悪い方向へと暴走し始める。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







命を賭けて物事に立ち向かうという行為と、自ら生きることを放棄して問題を解決するという行為は、似ているようでまったく違う。前者は場合によっては尊く貴重な行為に成り得るかもしれないが、後者は無意味で馬鹿げた暴挙でしかない。

誤解を恐れずに書けば、第二次大戦における日本軍の特攻行為も後者だ。幼い時から国家によって洗脳され、ある者は進んで、あるものはしぶしぶながら、自らの命を絶つという前提で敵に立ち向かった特攻隊員たちは、国家によって無意味で馬鹿げた行為を強要されたのだ。そして今、彼らの行為を美化しようとする者たちが「天皇陛下のため」や「お国のため」という代わりに準備するすり替えの常套句が「愛する者のため」だ。

「愛する者のため」という台詞は『男たちの大和 YAMATO』の中でも使われていた。しかし、それは「愛する者たち」のために戦うという決意の言葉であり、決して自らの命を放棄するという文脈では使われていなかた。当然だろう、ある状況において戦うことは確かに意味のある行為ではあるが、はなから死を選ぶという行為などに意味や価値を見出そうとするのは馬鹿である。

そして、本作の小野寺の行動は地球的規模の自然の叛乱に戦いを挑んだのではなく、明らかに自らの死を選択して「愛する者のため」という美句をいたずらに背負い込んだだけの勘違い行為でしかない。この間抜けで悲惨な行為を前にして残された当人である「愛された者」たちは、ありがた迷惑として当惑することはあったとしても、果たして手放しで賛美する気になどなれるのだろうか。

その何よりの証拠は、2人の潜水艇操縦士に対する大地真央扮する文部科学大臣(彼女は教育と科学を司る責任者だ)のトンチンカンな賛辞がそらぞらしい薄気味悪さを漂わせることで明らかであろう。爆発崩壊寸前の富士山(国家の象徴だろう)を、一介の潜水艇操縦士の命と引き換えに阻止するなどという話を、たとえ娯楽映画であろうとその骨子に据える製作者たちの鈍感さが恐ろしい。

原作は日本という国家と民族に関する話しだったはず。それを「愛する者」という“曖昧な抽象概念”に矮小化しても「日本沈没」に意味を見出し得ると考えた時点で、この製作者たちの態度から物事を真摯に語るセンスが著しく欠落してしまっている。

(評価:★2)

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