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[コメント] 紙屋悦子の青春(2006/日)

この作品には三つの時間が流れている。戦時下の紙屋家に淡々と流れる疲労と諦観に溢れた日常という時間。東京大空襲で両親を亡くし、一生の伴侶となる男を得るまでの悦子の青春という時間。そして、冒頭の夕焼け空へ続く数十年に及ぶ二人の戦後という時間。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







疲労と諦観に支配された日々を、当然のこととして受け入れ淡々と生きる戦時下の日常という時間。そこで交わされる兄夫婦(小林薫・本上まなみ)と悦子(原田知世)らの会話は、どこの家庭でもそうであるように夕食の献立のことであり、客をもてなすための準備のことであり、話し好きな駅長の陰口だ。違うのは、その会話にあたりまえのように配給、軍需工場、空襲、本土決戦という言葉が混じることだけだ。空襲が激しさを増す中での夫(小林)の工場勤めを案じながら空襲よけの献立を準備し、甘えるようにすねて見せることしかできない幼さの残る妻(本上)の、負けてでも早く戦争が終わってほしいと望む心中が痛々しい。

悦子(原田)の青春はあっけないほど短い。3月10日の東京大空襲で両親を失い、密かに思いを寄せる明石少尉(松岡俊介)をも亡くし、そして一生の伴侶となる永与(永瀬正敏)を得るまでの一ヶ月間が悦子の青春だ。明石(松岡)が自らの意思で永与(永瀬)を悦子に紹介するのだと聞いたとき、彼女はすぐに明石が自分を幸せにできないことを悟ったのだろう。当時の女性が皆そうであったように、悦子もまた自ら伴侶を選ぶことなどかなわない。まして封建色の強い鹿児島だ。しかし、悦子は永与に会って「この人なら」と自分をゆだねる気になったようだ。悦子が見せる恥じらいと輝きの表情は、恋が始まる予感をたたえていた。

しかし、戦争はもっと深いところで悦子から明石を奪っていたのだ。明石は悦子ではなく国を選んだのだ。悦子もまた、明石が自分ではなく国を選んだことを号泣しながらも納得しなければならないのが戦時下という時代だ。そこには、明石を恨むなどという考えはあってはならない。国のために命を捧げる男を耐えて見送ることしか許されない。そこに暮らす人ではなく、その場所である国が優先される時代。人の存在と国の存在では、いったいどちらが重いのか。こうして悦子の短い青春は幕を閉じようとしていたのだ。

永与という親友がいたからこそ明石は、悦子を残して国のために命を賭けて出撃する決意ができた。国のために散った男が自分を託した男・永与。悦子にとって永与がどれほど逞しい男に思えただろう。戦時下の男の価値とは女にとってそんなものだったのだろう。結婚を決意した悦子を前に、その永与は両親が住む故郷の長崎・大浦に勤務が決まったことを告げる。4月初旬のことだ。

そして、映画では具体的に描かれることのなかった二人の数十年に及ぶ長い長い戦後という時間が始まる。その後、長崎で暮らし始めたであろう長与と悦子や長与の両親は5ヵ月後の8月9日の原爆投下の日、どこでどのように過ごしていたのだろう。苦悩しながらも輝いた僅か一ヶ月の悦子の青春のあとに訪れ、冒頭の病院の屋上まで続く数十年に及ぶ二人の時間。映画では描かれなかった戦後という時間を我々がどう過ごしてきたのか、その時間の中で戦争がどう語られ、何がなされ、何がなされなかったのか。夕焼け空を流れる雲を眺めながら淡々と語られる老父夫婦の会話の裏に潜む語らえなかった話。それが、黒木和雄が我々に最も問いたかったことのように思えた。

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すばらしい映画群を残していただき、ありがとうございました。

黒木和雄監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] TOMIMORI[*] 死ぬまでシネマ[*]

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