コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 麦の穂をゆらす風(2006/英=アイルランド=独=伊=スペイン=仏)

戦うということ。そして殺し、殺されるということ。一見、シンプルな展開でありながら、そんな人間にとって極めて解読し難い命題をローチはドラマの内側に深く刻み込んでいく。単に、反戦だ、平和だと叫んだだところで片がつかない気の重くなる現実がここにある。
ぽんしゅう

劇中で印象的な言葉がありました。「誰と戦わなければならないかは、すぐに分かる。でも難しいのは、何のために戦うのかということだ」

暴力や殺人は、本来は否定されるべきことでしょう。しかし現実には、今現在ですら、私たちが暮らすこの国の数万キロ先(実は、そこは僅か数時間か十数時間で行くことの出来る場所です)で、紛争は尽きず、毎日のように、どこかの地域で命を奪い、奪われる人々がいます。

何故、彼らは殺し殺されるのか。実は答えは簡単で、そこに、信じて止まない彼らなりの戦うための「理由」が存在してしまっているからです。それは、時に国家の覇権や、宗教的信仰心、民族の誇りといったカタチの見えないものであったり、支配者による略奪や暴行や強姦のような具体的な弾圧行為であったりします。幸いにして、今の我々日本人には縁遠く思われることばかりです。

本来、それは法の下で理性的に処理されるべき問題ですが、大抵の場合紛争地域に法は存在しませんし、あったとしても機能していません。それどころか、法治国家を自認し民主主義を標榜する大国が、自国の存在(すなわち法と国民)を守るという名目で武力を行使することは、当然のこととして国際的に承認されています。戦禍が絶えるはずがありません。

03年、イラクで日本の外務省職員が、二名殺害された事件はまだ記憶に新しいところでしょう。そのうちの一人は、小中学校時代に私の一級下にいた男でした。新聞やテレビで報道される彼の写真が、私の記憶の中の少年と結びつくまでにしばらく時間がかかりました。しかし、古く遠い記憶ですが、少年時代の遊びの輪の中に確かに彼がいたこと覚えています。

異国の地から突然舞い込んできた死の知らせと、数十年の時を飛び越えて出現した少年の記憶。それまで、所詮はテレビの中での出来事でしかなかったイラクでの戦争が急に生々しいものに感じられました。100年近い前の、しかもアイルランドという異国の内戦を描いたこの作品を見て、何故かあの時と同じ感覚がよみがえりました。

二人の外務省職員が、何故殺されなければならなっかたのか、今でも私にはその「理由」が分かりません。しかし、紛争の地で日々戦闘に明け暮れる人々には殺さなければならない確固たる「理由」があったのかもしれません。「誰と戦うのかではなく、何のために戦うのか」という命題を、日々背負って暮らす人々が、過去も、現在も存在しているということ。

平和や反戦といった上辺のお題目など目もくれず、ケン・ローチがダイレクトに提示してみせる難題を前にして、私はたじろぐばかりです。未だかつて日本人は「戦う理由」など、ただの一度も真剣に考えたことなどないのではないでしょうか。それは、人として無責任なことなのかもしれません。あるいは、良いことなのかもしれません。

何故なら、「どんな理由」があれば「戦う」のか、あるいは「どんな理由」があっても「戦わない」のかを、自問自答してみるとわかります。「戦う理由」が見つかった人と、何があっても「戦かわない」という人。その人の思いが真剣で真摯であればあるほど議論は熱を帯び、やがて二人の間で戦いが始まるかもしれません。それほど、人は大きな矛盾の中を生きているのではないでしょうか。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (6 人)jollyjoker[*] Orpheus KEI IN4MATION[*] プロデューサーX[*] Keita[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。