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[コメント] 善き人のためのソナタ(2006/独)

良心についての映画である。良心とは、一日一善などという腑抜けた自己満足の体現なのではなく、むろんどこかで見返りを期待した甘えの心でもない。切羽詰った破滅的状況においてさえ、信じるものに全身全霊をかけて実践される志しの力だということを教えられた。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どこか体制の顔色をうかがいながら創作活動を続けていた劇作家ドライマン(ゼバスティアン・コッホ)は、不当な弾圧を受ける友人演出家の自殺をもって、自らの作家生命をかけた創作の志に目覚めた。これが、彼の良心の目覚めだ。恋人のクリスタ(マルティナ・ゲデック)もまた、女優生命の危機とドライマンへの愛のもとで心揺れ動き、自らの身を消し去ることで女優と恋人としての両方の志しを貫いた。報われぬ悲しい良心の発露ではあったが。

国家体制を守り抜くことに人生をささげ、全身全霊をかけて執拗かつ冷酷なまでに反逆者を摘発するヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)とは、ずば抜けた志の高さで国家に良心を捧げた男なのだ。実は彼こそが、誠実さをもって最も「善き人」を実践していたのだ。ヴィースラーは、この点においてドライマンやクリスタとは違いすでに良心の人だったのだ。

ヴィースラーもまた、上層部の腐敗が放つ悪臭と舞台の上で輝く女優クリスタの魅力(そこに恋愛感情は存在しないように見えた)の間で、自らの身分を賭した選択を最後にせまられる。しかし、彼は盗聴行為の途中から徐々に偽りの報告書を提出するようになる。つまりヴィースラーは、他の二人のように良心に目覚めたのではなく、良心を向ける対象を変え始めていたということなのだ。

ここに、私たちは体制、反体制といった政治や思想をもとに人の良心、すなわち「善き人」を決めつけることの危うさに気づくはずだ。たとえどのような状況下に置かれようと、志し高く全霊をかけ身を呈して行動すること。それが良心なのだ。ヴィースラーの生き方に、強さと潔さと爽やかさが漂うのはそのためなのだ。だからこそ、小説「善き人のためのソナタ」が捧げられるべき男は彼だったのだ。

ナチスの支配から、その後の東西対立を経て統一されたドイツで、このような懐の深い作品が生まれることに、うなずきつつ、今の私の国に目を移すと少し嫉妬を覚えた。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)おーい粗茶[*] Orpheus サイモン64[*] りかちゅ[*] chokobo[*] セント[*] moot

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