[コメント] 椿三十郎(2007/日)
三船、仲代の個性に匹敵する者などいるはずもなく、織田(三十郎)の豪放さが薄っぺらく豊川(半兵衛)に殺気が足りぬという批判は端から自明のことで誰が演じても同じ。むしろ若侍らの「今どき」化で、弱点の相対的バランスをとった森田のセンスを評価する。
まったくもって無謀なリメイク企画である。黒澤版は、娯楽作品としてはほぼ完璧な脚本で、ユーモアを背景にしながら野獣のような二人の男の哀れさを浮き彫りにした快作だった。その脚本だけ活かして、三船敏郎と仲代達矢なしで再映画化を試みるなど誰が考えても無理なのだ。
全盛期の、三船と仲代が有していた獰猛な獣のような存在感は、戦前と戦後の価値がせめぎあう50〜60年代の時代の空気と、彼らの個性的風貌が呼応して生まれたものなのだ。当然、今の時代にそんな役者が存在するわけがない。たとえば、佐藤浩市や中井貴一、役所広司や真田広之が演じていたところで程度の差はあれ同じ批判と失望を生んでいただろう。
だから別に三十郎と半兵衛は、織田と豊川でいいのだ。演出家森田芳光に課せられた課題は、織田と豊川でどう娯楽作品としてのテンションを維持するかということだっただろう。そこでとった作戦は、若い役者たちの徹底的「今どき」化だ。松山ケンイチを筆頭に、若侍たちはどう見ても学園祭の芝居に参加した大学生・高校生顔で、鈴木杏も母親と銀座のブランド店を徘徊する山の手お嬢さん、ガッツポーズ娘は地方の生真面目女子高生だ。
周りに配置した役者の「今どき」化で、主役二人の重厚感の欠落という決定的な穴を相対的に埋めてバランスをとってしまったのだ。後は達者な佐々木蔵之介でほのぼのとした森田風味の笑いをとり、殺陣を巧みなカッティングとスピードで組み立てながら2時間を見せきってしまった。森田芳光の巧みな戦略センスと、したたかさに関心しつつ、今という時代に成立した娯楽時代劇として充分楽しめた。
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