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[コメント] スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師(2007/米)

この作品はミュージカル映画としてコメントしてもよいのだろうか、と戸惑ってしまうほど決定的にスケール感が欠落している。スケール感とは、映画に音楽や歌唱やダンスが付加されたときに相乗的に生まれる、希望や絶望といった感情の厚みや深さのことだ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画の元になった舞台ミュージカルに関してまったく知識がないので、見当はずれなことを書いたらご容赦願いたい。この作品のミュージカル要素は、舞台の構成をそのまま流用しただけなのだろうか。そうだとしたら、それが失敗の原因だろう。

何故、合唱やダンスをもっと取り入れて映画用に再構築しなかったのだろうか。例えば、トッド(ジョニー・デップ)が怒りを街の住人たちに転化するシークエンスや、何も知らない客たちでラヴェット夫人(ヘレナ・ボナム・カーター)の店が大繁盛するシーン、そして夫人がトッドと少年と暮らす平穏な生活を思い描くくだり、さらにはターピン判事(アラン・リックマン)が理不尽な判決をくだす法廷シーン。そんな性格や状況を示す場面がもし、混声合唱や集団ダンスとして構成されていたら、きっと作品の印象はもっと違ったものになっていただろう。

音楽的要素で演出された祝祭的な華やかさや、あるいは呪術的な不気味さがあってこそ、あのトッドがこもる階上から地下へと直結する閉ざされた理髪店の異様さは引き立ち、さらに言えばトッドの絶望感と暴力性に深みがうまれたはずなのだが。ティム・バートンは、はなからミュージカルなどに興味がなかったのではないのか。何とも中途半端な映画だ。まあ、楽曲も退屈なのたが。

(評価:★2)

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