[コメント] ミスト(2007/米)
「やるだけのことはやった」という言葉が、成果ではなく諦観のなかで語られる恐怖。さらに絶望のどん底へとたたき落とされた者の計り知れぬ悲嘆すら、所詮は1人の人間の力の及ぶ範疇の事象でしかなく、本当の力とは別次元に存在することを思い知らされる恐怖。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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外部から襲いかかる奇怪な現象と、謎の魔手を目の当たりにして、逃げ惑い立ち尽くす恐怖。内部で沸々と渦巻いていた感情が、心をからめとり妄信的言動となって立ちふさがる恐怖。ふたつの恐怖からの勝算なき脱出を試み、やがて力つきるデヴィッド(トーマス・ジェーン)親子らの絶望という名の究極の恐怖。
これだけでも、充分にこの世の恐怖を体現しているにもかかわらずフランク・ダラボンは、いやそうではないと警告を発するのだ。所詮は、これらの恐怖は生身の人間が体験し、あるいいはその心が引き起こす恐怖でしかないのだと。そして、実はこの世は個々の人間の力など及びもしない、強大な力によって支配されていることを忘れるなと。
「霧」を引き起こした原因はどうやら軍にあり、その「霧」を消滅させ元の世界を回復させたのも軍である。我々は、最後の最後に、デヴィッド(トーマス・ジェーン)同様、自らの力の限界と、「やるだけのことはやった」末に訪れる虚しさを思い知らされる。「霧」のなかに隠れて見えなかった恐怖の正体が、本当は何であるのかはもう明白であろう。
人知の制御の及ばぬ「力」は、すでに人間の手によって作り出され、「霧」のなかを見え隠れしながら世界中を徘徊しているとうことなのだ。
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