[コメント] シークレット・サンシャイン(2007/韓国)
「密陽ってどんな街?」。どこにでもある、ありふれた地方都市。希望のいとぐちから絶望のどん底へ、あるいはその逆を、何時、誰がたどってもおかしくない場所。すなわち我々の日常は「密かな陽ざし」を求め、彷徨い続ける危うさのなかに成立しているということ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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シネ(チョン・ドヨン)は死別した夫の故郷で、ピアノ教師として再起することに「密かな陽ざし」を見い出していたのだろう。ジョンチャン(ソン・ガンホ)もまた、そんなシネの姿に愛情という「密かな陽ざし」を見たのだ。しかし、そんな「陽ざし」に浮かれたかのような投資ばなしが悲劇の扉を押し開く。
薬局の女主人が言うように「陽ざし」のなかに神を見い出し、一旦は救われたシネだが、囚人が救われた「密かな陽ざし」のなかに喪失の悲嘆に加え、自らの傲慢さという絶望をみてしまう。なすすべなく寄り添うジョンチャン。「密かな陽ざし」に翻弄される女と、自らの「密かな陽ざし」に気づいてさえいないかのような愚直な男。さらに、二人の存在をときに傍観者として、終盤には包み込むように受け入れる街の住人たちの丁寧な描かれ方もよい。
まさに「密陽(ミリャン)」における「密かな陽ざし」の映画であった。
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