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[コメント] 3時10分、決断のとき(2007/米)

ダン(クリスチャン・ベール)とウィエド(ラッセル・クロウ)の表裏を織り成す2焦点に加え、チャーリー(ベン・フォスター)の狂信的一途さまでもが心地好い。今の時代、こんな男どもに心ほだされて良いのか自嘲するも、いやそれが今の気分なのだと思い直した。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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南北戦争の勝利で栄誉を手にしたはずのダン(クリスチャン・ベール)は、自らの足と家族に対する自信を失う。彼は本当は金が欲しかったのではない。彼が欲した報奨金とは、家族の幸福と自らの自尊心を取り戻すための手段でしかないのだ。そんな男のいささか度を越した心意気と執着は、今の時代を生きる者にとって夢でこそあれ、決して一笑にふしてしまえる戯言ではないのだ。さらに、敗走のさいに味方に撃たれ足を損傷した彼に、ベトナム、アフガン、イラクで膨大な死傷者を出し続けたアメリカの自虐的自信喪失を重ねるのは、うがちすぎというものだろうか。

一方、ウィエド(ラッセル・クロウ)の執着。望むものを手にするためには一切の手段を選ばぬ彼が、実は最も手に入れたかったものは3日間聖書を読み続けた末に失った母親の愛情だ。いくらウィエドが自らの戒律にしたがって非情に行動したところで、『ノー・カントリー』(07)の殺し屋シガーや、『ダークナイト』(08)のジョーカーのような絶対暴力の行使者たちに比べて彼のなんと人間的なこと。テロル的非情さに驚愕しながらも受け入れざるを得なかった現代悪の行使者に比べて、ウィエドは我々にも理解可能な、事情さえ違えばイイ奴だったかもしれないオールドタイプの悪党だ。ウィエドは我々を、緊張から一瞬解放してくれる。多少、強引に生きてきた俺だって、あるいは傲慢さが鼻につくお前だって、本当はイイ奴なんだよな。そんなヤワで懐かしい思いを、少しのあいだ抱かせてくれるのだ。

そして、チャーリー(ベン・フォスター)の執着は美しくも悲しい。今の時代、ことの正否は別にして信じ切るにたる「もの」を持つ者の、神々しいまでの大胆さをチャーリーは放っていた。私たちは、彼ほどの誠実さをもって、自らを捧げ信頼する対象をいま持っているだろうか。言い方を変えよう。持っていたなら、日々どんなに楽であろうか。迷うことなく目的に突き進むチャリーの生き様もまた、今の時代に我々が心のどこかで渇望しているのではないだろうか。だからこそ我々は、チャリーの悲しい最期に、「いや、お前も実によくやった」とひと言添えずにはいられないのだ。さらに踏み込んで、この10年、西側の仇にされ続けているテロリストたちの存在を心情的に重ねてみるのも、あながち無謀とは言い切れないのではないか。

エルモア・レナードの原作も、デルマー・デイヴズ監督の『決断の3時10分』(57)も未読、未見だ。いったいどれくらいの翻案が、ほどこされたのだろうか。本作は、極めて非現代的な感情を巧みに蒸し返すことで、極めて現代的な、すなわち今欠落している「ある種の気分」を埋めることに成功したトリッキーなウェットさに富んだ娯楽作品であった。

(評価:★4)

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