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[コメント] カケラ(2009/日)

足りないモノを埋めずにいられない(自身の存在が成り立たない)リコと、足りないモノが何なのかすら分らず(自信が待てず)揺れるハル。中村映里子満島ひかりの戸惑いと懸命さが可愛らしく瑞々しい。欠落はとるに足らぬ「好いこと」で埋まるのだ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







女だろうが(たぶん男だろうと)生きている限り、何かが足りないという欠落感は、大なり小なり常につきまっとているものなのだ。そして、何かの拍子に・・・例えばハル(満島ひかり)が目の前の恋人の存在に、ふと違和感をいだいた朝のように、あるいはリコ(中村映里子)が窓辺の女性に、声をかけずにいられないほどの親近感をいだいたときのように・・・・突然、その欠落感は深刻な感情となって頭をもたげるのだ。何故なら、それが生きているということなのだから。

そんな悩ましい欠落感を埋めてくれる「カケラ」もまた、日常のなかに隠れているものなのだ。揺れ動いた末にハルは、ピンクのワンピースを身につける。リコが可愛いと進めてくれた、なのに頑なに拒んでいたスカートだ。何故だか自分でも分らぬような晴れやかな気分。浮かれ心地でみかんを一個だけ買おうとするが、初めて着た服のポケットには財布が入っていなかった。でも・・・次に訪れるささやかな幸運。

そんな、偶然出くわした「好いこと」が生む、とるに足らない「満足感」こそが、心の隙間を埋めてくれる「カケラ」なのだ。やっとのことで開け放たれた窓の向こうに、次ぎの「好いこと」の予感を漂わせながら、安藤モモコはポジティブな風を吹かせて初めての監督作を締めくくる。

安藤監督の男性性との距離のとり方が面白い。ハルとリコの大喧嘩に固まる居酒屋の酔客たち。ポルノビデオにはしゃぎまわる幼稚な男友達ども。まるでカビのように見える了太(永岡佑)の無粋なヒゲや、重ねた身体の奥で無遠慮に侵略を続けるTVモニターの古い戦争映画。さらには、麻酔の効いた自分の尻にふれたときのハルのエピソード。

それは、いまだに残る旧態的な男社会の残滓とのギャップであったり、避けて通ることのできない共棲生物としての男に対する素直な感情の表出だ。きっと、安藤モモコ自身が接している身の回りで、普段から頻出している「何かが足りないかもしれない」という、生きている証しとしての感覚(欠落感)なのだろう。そんな、違和と親和のイメージをさらりと映画に定着させてみせた安藤監督の感性に、女性ならではという常套句に納まりきらないオリジナルな素直さと鋭さを感じた。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)寒山拾得[*]

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