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[コメント] ケンタとジュンとカヨちゃんの国(2010/日)

ただ破壊するだけで何も生み出さぬまま、破滅の閃光を「光明」とみまがい目指した先は、初めから最果ての終末点だという矛盾。無自覚な残酷さで、意識せぬまま互いを傷つけあう無残。「情け」と「希望」と「関係」のバランスを欠いた不器用な若者たちによる挑発。
ぽんしゅう

はるか昔、1960年代。「壊すことが、すなわち選ぶことだ」という錯覚に支配された、精神と肉体の連帯と高揚という意味において幸福な時代があった。やがてモノと情報の洪水、距離と時間の短縮が生んだ「豊かさ」が幸福の代名詞として取って代わる。物的にも精神的にも「豊かさ」は生きる「ゆとり」を生み出す。「ゆとり」とは裏を返せば「ゆるみ」であり人と人、人とモノの関係を希薄にするのだ。

他人の親切や、互いに助け合う必要が希薄になった「ゆとり」の時代では、必然的に人間関係も「ゆるみ」希薄化する。ケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)とカヨ(安藤サクラ)の間には、青春ロードムービーにつきもののロマンや連帯など一切生じない。そこに漂うのは、まがまがしいまでの希薄さと危うさだ。これは「情け」と「希望」と「関係」のバランスを欠いた不器用なイージーライダーたちに仮託した、「ゆるみ」に対する大森立嗣による挑発なのだ。

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役柄のせいもあるのだろうが、松田翔太の物腰や台詞まわしが、ときおり父松田優作のそれとダブり懐かしさが漂う。兄ちゃんの龍平より似ているかも。あと、安藤サクラが醸し出すブスの空々しい甘えは、デビュー当時の桃井かおりを彷彿とさせ、平成の馬鹿ブス娘の悲しみに満ちていた。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ペペロンチーノ[*]

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