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[コメント] エッセンシャル・キリング(2010/ポーランド=ノルウェー=アイルランド=ハンガリー)

逃げるという行為は黎明期からの映画の基本モチーフのひとつで、古今東西、出つくした感の「ただ逃げるだけ」の話しなど、と期待と不安半々で臨む。スコリモフスキは、物語でも撮影でもなく編集で、それも映像というより音響編集でこの今さらな題材をねじ伏せた。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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前作『アンナと過ごした4日間』も実に繊細な音響の作品だった。本作も、変幻自在に変化するヘリコプターの爆音に始まり、火器の爆裂音や車の走行音、取り調べ官の罵声やイスラムの祈祷、闇をつんざくカーオーディオの騒音、犬の喧騒からチェーンソー、そしてテレビのテニス中継のアナウンスまで終始音響に支配され続ける。ムハンマド(ヴィンセント・ギャロ)は、極端な遠近感と強弱でバランスを制御された非現実的音の洪水のなかを逃げ続け、ついに音から解放された存在である聾唖の女(エマニュエル・セニエ)のもとへとたどり着く。そして、鮮血に汚れた白馬がたたずむ雪原の静寂へ。

ムハンマドは何故、逃げ続けるのだろうか。彼の懸命の逃走を見ているうちにそんな疑問をいだき始めた。仲間による救援が期待できるわけでなく、逃げ延びた先に安息の地が存在するわけでもない。宗教的規律や信念が、彼にそうさせているようでもなさそうだ。冷静になってみると、最早ムハンマドには逃げ続けなければならない理由などないことに思いが至る。唯一、あるとすれば、追ってくる者がいるからだ。つまり、「本質的な殺し(エッセンシャル・キリング)」とは、人や物事を執拗に、あるいは義務的に追い詰める行為のことなのだ。雪原に残された白馬とムハンマドの消滅が、そう語っているように見えた。

(評価:★3)

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