コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 桐島、部活やめるってよ(2012/日)

全能とは憧れであり幻想だ。おそらく桐島の全能性も、周りの者たちが自身の不安や劣等感を紛らわすために、おのおのが勝手に理想男子の桐島に仮託した幻想にまみれていたのだろう。あやういパワーバランスに揺れながら自分を演じる日常。学校という牢獄の日々。
ぽんしゅう

金曜日に始まり、週末をはさんで火曜日までの学校という閉鎖空間での出来事だ。今から約30前の傑作『台風クラブ』(84・相米慎二)を思い出していた。担任教師(三浦友和)に対して芽生えた不信感をかかえた中学生たちが、接近する台風と呼応するようにざわめきながら週末を嵐の中、学校の校舎で過ごす話だ。あの学園物語も、木曜日に始まり月曜日に終わる設定だった。

学校での行動は曜日によって規定される。学校とは、毎日同じ顔ぶれを同じ場所に集めて、時間と規則によって言動の自由を拘束してしまう国家(文科省)主導の強制制度なのだ。思い出してみればそこは、単調な時空が1週間単位で延々と繰り返される、極めて精神的新陳代謝に乏しい、不自然かつ不健全な世界だった。今も昔も、中学生や高校生の精神が少なからずイカレテいるのは、ある意味において当然のことなのだ。

桐島という幻の全能性に寄りかかった脆弱なパワーバランスは彼の不在により、いとも簡単に関係性の底に隠蔽されていた「偽り」を露呈させる。近ごろ、北方領土だ、竹島だ、尖閣諸島だと騒がしい東アジアの国々が露呈する、国家自我と利害欲をめぐるぎくしゃくぶりも、視点をマクロ的に引いてみれば、結局は全能幻想国家アメリカとの「近さ、遠さ」加減の問題だったりして・・・そうか桐島はアメリカだったのか! 学校と国家!  イカレテいるのは中高生だけじゃなかったのだ、などと妙に納得したのでありました。(2012年8月20日記)

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (5 人)pori おーい粗茶[*] ペペロンチーノ[*] モロッコ[*] ペンクロフ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。