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[コメント] 希望の国(2012/日=英=香港)

希望と絶望が共存する。当然だ。福島で起きている現実に整理がついた者など、まだどこにもいないのだから。・・・「愛があるから大丈夫」・・・何が、どう、大丈夫なのだろう。誰にも分らない。分るのは、それを考え続けることから我々は逃れられないということ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







若いカップルが「一歩、二歩、三歩」ではなく「一歩、一歩、一歩」と歩み始めること。認知症の妻と暮らす初老の夫が、猟銃を持ち出すことで現状を打破し、次へ進もうとすること。逃げることが目的となった、これから子供の親になる男が「ジリジリジリ」と鳴る線量計の音を耳にすること。すべて微かな希望への逃走であるとともに、絶望の予兆のようにも思える。

こうして、「逃げることも強さだ」という言葉を唯一の頼りとして、みんな見えない戦争を戦い始めなければならないのだ。みんなとは、当然、私たちのことだ。

ある者(たとえば福島の被災者)は、物語のなかの被災者たちの未来に漂う「絶望」を、あまりにも無慈悲だと非難するかもしれない。また、ある者(たとえば被災をまぬがれた私を含む多くの者)にとって、願望として漂う希望的「希望」は、空疎で安易な無責任に見えるかもしれない。

本来は深い思慮に基づいているはずの映画だが、どこか上辺をなぞっただけに見えてしまう。しかし、誰もそのことで園子温を批判することなどできないはずだ。仕方のないことなのだ。観客の誰ひとり「福島で起きていること」について整理なんて出来ていないのだから。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)DSCH[*] IN4MATION[*] ガリガリ博士[*] けにろん[*]

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