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[コメント] シン・ゴジラ(2016/日)

民主的手続きに右往左往する縦割り官僚機構は非主流どもに国民の運命を預け、2大原発大国アメリカの傲慢とフランスの強欲の溝を綱渡りし、原発NG国ドイツのお人好し人道主義にすがる。各所に配慮しつつ、現実的にも娯楽的にも可能な限り誠実なゴジラ映画だとは思う。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







このゴジラは3.11すなわち東日本大震災ではなく、正確には福島第二原発事故の比喩だ。前者は人智の及ばない純粋な自然災害だが、後者は人間が作り出したシステムの暴走であり人災だ。今回のゴジラは核廃棄物によって生み出された超生命体、すなわち人間の不始末によって誕生し制御不能となった核施設そのものだ。

事故から30年たって老朽化した石棺から漏れ出す放射性物質に怯えるチェルノブイリ原発。なかなか凍らず運用が開始できない凍土遮水壁に望みを託しつつ汚染水を排出し続ける福島第二原発。これと同じ「呪われた廃墟」を首都圏のど真ん中、東京駅に出現させること。それが今回のゴジラ映画の純粋な主旨だろう。この真摯な警鐘を大いに評価する。

初代『ゴジラ』の恐怖は、空襲の記憶を呼び起こす劫火が街を焦土化することにあった。「シン・ゴジラ」の恐怖は、たとえ活動を停止し動かなくなったとしても、(動かないからこそ)制御不能な核施設のごとく放射能をまき散らしながら「そこにあり続ける」ことにある。負のメモリアルによって、東京23区の土地と財産と生活が数十年、数百年単位で奪いさられる理不尽さ。福島のように。

しかし、環境省のオタク官僚(市川実日子)が「放射能の値も下がり始めました!これで半減期もさらに縮まります」と物語的に日和った瞬間、この「東京駅に冷凍ゴジラ」の意義は半減どころか消滅してしまったに等しい。自衛隊の攻撃開始を手放しで喜ぶ大臣に向かって、官房副長官の矢口(長谷川博巳)も言っていたではないか。根拠のない楽観が敗北を招く、と。

スタッフの精一杯の努力と、会社の諸般の事情は察します。しかし、初志貫徹。動かぬゴジラを前にして、私もあなたも、途方に暮れなければならないのです。チェルノブイリや福島の人々のように。その覚悟があれば文句なく★5つを差し上げました。

(評価:★3)

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