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[コメント] 三姉妹〜雲南の子(2012/香港=仏)

確かに凄まじい貧困ぶりだが子供たちに暗さはない。ボロボロの布団や底の抜けた長靴に愚痴をこぼしながらも現実を現実としてやり過ごし、泥にまみれながら豚や山羊を追う姿はまるで「命」と戯れているようにさえ見える。ただし、それは決して強さなどではない。
ぽんしゅう

何故なら、すべての子供は弱者なのだから。

二つのことを考えた。雲南の子たちに必要なのは、もちろん同情などではない。今、必要なのは私たちも、この子供たちとともに「彼らと自分たちの幸福」について考えることだろう。

彼らの生活は貧しいのだが、誤解を恐れずに書けば我々(日本人)が感じるほど、彼らは貧しさを自覚していないかもしれない。同じ生活圏に富裕層が誕生したとき、人は初めて貧しさを自覚する。中国のこの20年の経済発展は凄まじい。昔は皆、貧しかったのだ。彼らは、今やっと自分たちが取り残された存在であることに気づき始めたのではないだろうか。チェンチェンたちは、生まれたときから貧しさを自覚し、つまりは「格差」を運命として背負いながら大人になる子供たちなのかもしれない。その意味では一億総中流時代が崩壊し、厳然たる格差社会が定着しつつある日本の子供たちも、「雲南の子」と同じ運命を背負っているのだが。

もうひとつ、我々(日本人)がこの子供たちに「逞しさ」を感じたとしたら、それは彼らにとって遊びと労働が生活の中で一体化しているからだろう。日本の子供にとっての「遊び」と雲南の子供たちのそれは明らかに概念が違う。彼らは家畜と戯れるように過ごし、競うように芋を運び、松ぼっくりや家畜の糞を籠いっぱいに集める。働きながら遊び、遊びながら働いている。それは不幸なことなのだろうか。将来の夢は、と問われ「Jリーガー」や「アイドル」と答え、いざ社会に出たときには定職につくことすらままならい日本の子供たちが、この「雲南の子」たちより幸せだと言えるのだろうか。

子供と同じ高さの視線を保ち続け、決して状況に割り込まず被写体との距離を維持するカメラ。そんな、感情に流されない人に対する礼儀正しさが、人と生活と貧困を冷静に捉えるこの作品のトーンを生んでいる。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)寒山拾得[*] 袋のうさぎ 3819695[*]

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