[コメント] ブラインド・マッサージ(2014/中国=仏)
盲人たちが言葉を交わすとき、その顔と顔は触れ合わんばかりに近い。互いの本心を気配や体温で確認するかのようだ。手持ちの接近ショットで捉えられたその像は、ふいにボヤケ、ふいに焦点を結ぶ。健常者である我々は、被写体である盲人たちとの「距離」を見失う。
そして、雨の音だけが間断なく耳を打つ。
人間の眼は二種類ある。ひとつは光が見える目。もうひとつは闇が見える目だ。劇中、ナレーションでそう語られる。これは、盲人は健常者とは別の世界を生きているのだ、という、盲人たちの宣言だ。健常者であるお前(私)は、健常者にも見えない世界があることを知らぬまま、健常者の人生を終えるのだという、警告に聞こえた。
盲人の性と愛を描くロウ・イエの「やり口」には遠慮がない。盲人たちの本能の発露とアプローチは、純粋であり、滑稽でもあり、醜悪にもみえる。それは、障碍者に対する創作者ロウ・イエの真摯さゆえの残酷さだ。
ラストの女(ホアン・ルー)の微笑みは物語の「光明」であるとともに、盲人シャオマー(ホアン・シュエン)の人生の「光」でもある。しかし、シャオマーにとっての「光」は、あくまでも健常者(私)にとっての〈きれいごと〉としての比喩であり、彼は永遠に彼女の微笑みを「見る」ことは出来ないのだ。
嘘のない映画だ。
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