[コメント] タレンタイム〜優しい歌(2009/マレーシア)
例えば今の日本の高校生たちを描くとしたら、過剰な自己演出によて作り出す親しさと、その裏返しとしての関係性の希薄さが、欧米なら開放と共存関係の均衡が自己主張のモザイクによって保たれているさまが、きっと見え隠れするだろう。
この映画(高校生たち)が醸す“優しさ”は、多民族、多言語、多宗教国家に暮らす(同居する)人々のデリケートさから生まれているのではないかと思った。それは、同じ多民族国家であるアメリカが“主張”することで均衡を保っていいるのとは正反対の、アジア的心づかいのようなものによって生み出されているような気がする。そう、そんな気がするだけなのだ。私はマレーシアについて、そして(またしても)アジアについて、あまりにも無知であることに気づかされるのだ。
もうひとつ感じたのは、この映画が女性性によって成り立っているということ。イギリス系マレー人女子学生ムルーは三姉妹で、家は母と家政婦がしきりイギリス人の義母も存在感たっぷりだが、主である父は一家のおどけ役で軽い。母子家庭のインド人のマヘシュにも、しっかり者で相談相手の女子大生の姉がいる。末期の病の母と一人息子ハフィズの心の交感は痛いほどに優しい。一方、中国人のカーホウは強権的な父親にプレッシャーを感じている。さらに、男の教師たちは巨漢の女校長(マツコ・デラックスみたい!)に圧倒されている。そして、監督のヤスミン・アハマドも女性だ。
いつも穏やかな表情を絶やさない主人公のマヘシュ(マヘシュ・ジュガル・キショール)が印象的だ。彼は聴覚障害者だ。彼には歌も音楽も聴こえない。思いを寄せるムルー(パメラ・チョン)の声を聞くこともできない。彼は相手の表情と唇の動きを手掛かりにコミュニケーションをはかるのだろう。常に柔和な彼の表情は、他者との壁の存在、その壁を越えて共存し交流することの奥の深さ、そして関係づくりの作法の一端を、暗示しているように見えた。
余談です。金正男が暗殺されたのはマレーシアのクアラルンプールだった。犯行グループとされる北朝鮮の工作員は、日本のテレビ局スタッフだと偽り、ベトナム国籍とインドネシア国籍の女に近づき、マカオに生活拠点を置く北朝鮮人の金正男を殺害した。なるほど、マレーシアという国の多国籍性に得心しました。
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