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[コメント] メッセージ(2016/米)

言語は思想のツール化であり武器でもある。我々の言語を教える(強制する)ことでも、彼らの言語を学ぶ(準じる)ことでもなく、あらたな共通言語を発見し、その体系に身も心もゆだねることで、互いの思想や生き方に順応し、今までとは別の関係性を創造するということ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







〔ご注意〕これ以降、作品の核心や結末に関する決定的なネタバレがあります。映画を未見の方は読まないでください。

一見、思想と言語に関する理想的な正論だ。しかし、物語の全貌が明らかにされ、その意図せぬ“取り引きで”失ったものの大きさに気づいたとき、私は身ぶるいがした。なんと残酷な話しだろ。彼女(エイミー・アダムス)は自分の身に起こる(=起きた)すべての悲しみを、記憶に留めたまま誰にも“伝える”ことなく生涯を終えるのだ。

時間の循環による起点と終点の消滅。この作品で描かれた“Arrival”は、人類にとっては幸運への入口だったかもしれないが、個人にとってこれほど過酷なものはないだろう。

人にとって時間とは癒しだ。時間の堆積があるからこそ、人は深い悲しみのトンネルから抜け出すことができ、あるいは、たとえ一瞬の喜びでも、それを永遠の思い出として生きる糧に替えることができるのだ。時間を失うということは、混沌とした苦悩のなかを生き続けるということだ。

確かに、いま地球上では、国家や民族や宗教によって武装された「言語」のために、互いに交信不能な状態が続いている。だからと言って、現状を打開するためには時間という癒し装置を手放して、苦悩のなかを生きるしか術がないなんて・・・。それほどまでに、私たちは愚かで罪深く、抱え込んだ断絶は修復しがたいのだろうか。

人類が「幸福」を手に入れるために、時間と引き換えに失ったっものは個人の「幸福」であるという示唆。これほど、辛辣で恐ろしいホラーはないではないか。

(評価:★4)

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