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[コメント] 教室の子供たち(1955/日)

理論や手法ではなく、子供という存在の“愛おしさ”を見せること。教員向けに指導方法を啓蒙するという目的のために、何を映像として見せれば大人(教師)にとって効果的かというとを羽仁進は直感的に悟っていたのだ。この作品を嫌いだと言う大人はまずいない。
ぽんしゅう

公開当時、カメラやスタッフという異物を前にしているにもかかわらず、教室の子供たちのあまりにも自然で活き活きとした振る舞いを観て、どうやって撮影したのかが話題になったそうだ。この作品が、ドキュメンタリー映画(−正確には教育映画だろう−)の概念を変えたとまで言われたそうだ。

プライベートで動画を撮影することが日常となった今の私たちにすれば、この程度の子供の振る舞いや表情が撮れてしまうことに何の驚きもないはずだ。小学校低学年の子供の注意力など、今も昔も変わるはずもなく、きわめて散漫だ。教室に闖入したスタッフが、どんと構えたカメラのことなど、ものの10分もたたないうちに意識しなくなったことは容易に想像できる。

この作品の斬新さは、当時の教育映画の常道だったであろう、大人が仕組んだ子供の(あるべき)姿を使って、教育の指導方法を語らなかったところにあるのだと思う。羽仁進は、膨大な撮影フィルムのなかから子供たちの“自然で活き活きとした姿”だけを周到に選び出し、編集でつなぎ合わせて「教育映画」を創ってしまったのだ。この常識破りが、理屈ではなく、情動に訴えかける「教育映画」を生んだのだ。

この“愛おしい”子供たちの姿を見て、教育の大切さを思わない者など一人もいないはずだ。

(評価:★4)

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