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[コメント] 火花(2017/日)

ファーストカットの火球が象徴的で美しく切ない。変わらぬ「動」として飲み食いが頻繁に描かれ「静」として街のたたずまいが度々挿まれる。別れの予兆として風に舞う小雪は効果的に二度。リフレインによって焙り出されるのは信念と熱量の持続と、無情な時間の格闘。
ぽんしゅう

原作では、神谷の「笑い」に対する異才ぶりや、それゆえの俗人性が20歳の徳永の思いを通して、膨大な言葉(文字)を費やして表現されていた。その労力に感心しつつも、文字表現の特性上どうしても抽象性の枠を超えず、彼らの格闘が身につまされるまでの実像を結ばないもどかしさを感じた。むしろ、その言葉の質量が私には、いささかくどく鬱陶しかった。

本作は、原作ではカタチを結ばなかった(私には結べなかった)抽象性の具現化に成功している。文字から発語に置き換えられた「言葉」はリズムを得て、原作では笑えなかったギャグに生気(心)が躍動し、映画では何度もクスリとしたり思わず吹き出したりもした。10年という時の流れは、事象や風景や季節がリフレインされることで、彼ら(やその無数の同志)の熱量や無情が可視化された。

映画なのだから、あたりまえだろうと言えばその通りかもしれない。しかし、クライマックスのスパークスの漫才が創り出す「笑い」と「泣き」の逆転は映画にしか達成できない総合力のたまものだろう。感動的な名シーンとして私は記憶した。

(評価:★4)

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