[コメント] 禅と骨(2016/日)
「禅」が生きながら達する無我ならば、「骨」は人生の最期の最後に残った未練の塊(カタチ)なのだ。この多才な奇僧にとって“ものごとを成す”という行為は、すべて未練を断つための無意識の欲求だったようで、映画制作への尋常ならざるこだわりもまたしかり。
誰しもみんな「骨」まで愛して欲しいのだ。
自分のルーツを果てしなく遡る長大な家系図は、未練の系譜。ヘンリ・ミトワの未練の残滓は、親兄弟の未練と一体化され、ひとつの墓のなかで、いつしか忘れ去られ風化する。あなたも、わたしも「骨」になったらオシマイです。それまで精々がんばりましょう。
ドラマパートの分かりやすいさが、ヘンリ・ミトワとう怪人の存在(言動)の遠因を絵解きしているようで、彼の“不可解”さという魅力をそいでしまったようにもみえ、効果的だったかは疑問。
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