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[コメント] れいわ一揆(2019/日)

真顔で理想社会(というよりは人の心のありよう)を語る安富歩という人物に、すかり原一男は心酔しているようで、その真摯な思い込みは必然として「れいわ新撰組」という“得体なき連合”へも無条件に注がれる。だからだめだとは思わないが、次の2点が不満。
ぽんしゅう

ドキュメンタリー映画にとってカメラは作者(撮影者)そのものの視線だ。この映画のカメラは常に受け身で視線から主体性がまったく感じられない。被写体へのシンパシーがそうさせているのか、カメラが一方通行で対象を挑発することが一切ない。挑発がないので、当然のように4時間もの時間を費やしながら、撮影者と被写体の“関係(あいだ)”に新たな「こと」が何も起こらない。その物足りなさが一点目。

もう一つは、情報の発信者(候補者)ばかりで受信者(有権者)がほとんど撮れていない点。「れいわ新撰組」という異質な新参者を受け止める(ボランティアも含めた)市民の存在(気持ち)が写っていないのだ。彼らのシンパでもなんでもない私は、候補者の主張が聞きたいのではなく、その主張が有権者のために、何を成したのか、成さなかったのかを観たかったのだ。

唯一の成果は、暗黙の了解のうちに互いに、自分の目的のために相手を利用しているだけという山本太郎と安富歩の、本音としての「かしこさ」が大騒ぎの向こう側に見え隠れした点。

山本は票集めの話題としてエキセントリックな安富を擁立しただけで、彼の主張に共感どころか興味もなさそうだ。この無関心ぶりは、他の候補者たちに対しても同じだ。それは山本の言動に見え隠れする。安富もまた、自分の主張を敷衍するために「れいわ新撰組」という器に乗っただけで、山本が掲げる公約にはまったく関心はなく(自分でも言っている)参議院選挙という全国規模のイベントを利用しているだけだ。

そこに、とりあえず国会に議席を確保すること。そのためには「場当たり的戦術」をアイディアという衣につつんで、社会のひずみに埋もれた市民の弱点を、ひたすら心地よくアジる山本太郎の胡散臭さが透ける。この「れいわ新撰組」という一味は組織としての態をなしておらず、このままではリアルな政治活動としての成果は得られないだろうと予感させる。

原一男が意図したかどうか、そんな「れいわ新撰組」の行く先を暗示してみせたところが本作の意義。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH 寒山拾得

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